残暑の厳しい中で、3団体の現地調査がありましした。
福岡県から解放子ども会、奈良県から教職員、滋賀県から三雲自主活動学級中学生、指導者の皆さん方です。
 

狭山市駅西口(午前9時に30度位の暑さ)

 福岡の子ども会の皆さんは午前9時から元気に現地調査に出発しました。みんなが着ていたTシャツには「石川無実」「石川レンジャー」「まけるな!無実」「再審開始」など色とりどりに思い思いの言葉が書かれていました。
 
 現地調査の後交流会をしました。これまで狭山の学習会を何度もされたそうです。その中で疑問に思ったことやわからないことなど、多くの質問がだされました。石川はその一つ一つの質問に丁寧に答えていました。その中で「今迄どんな仕事をしていましたか?」との質問に「逮捕される前はいろんな仕事をしました。でも製菓会社で4年近く働いたことが一番印象に残っています。製菓会社で一生懸命働いていたら『焼き上げ』というところの責任者に抜擢されました。このことが私にとって非常に不幸なこととなりました。責任者になると、その日使ったお菓子の原材料を何袋または何キロ使ったということを日報に書いて、報告しなければならないのです。私はほとんど字(漢字)を知りません。砂糖とか小麦粉、油など100種類以上もある原材料の字が読めないし、書けません。1ヶ月くらいは友人に書いてもらっていました。たまたまその友人が仕事を休んだのです。職場の人に私の無学を知られたくなくて、私は前日の伝票をそのまま写してしまいました。

「三次を命がけで闘う」と決意を

上司にマイクで事務室に呼び出され『今日は菓子が多く出来たのに、材料は昨日と同じになっているがどうしてか?』と詰問され、字が書けないこと、これまで代筆をしてもらっていたことを言わざるを得なかったのです。事務室には多くの人がいました。私はその日中に私の無学が会社中に知れ渡ってしまったような気がして、会社に居ずらくなって辞めてしまったのです。せめて義務教育さえうけることが出来ていたら、せめて小学校5年か、6年の学力があれば辞めずにすんだかも知れません。そうしたら、この狭山事件に巻き込まれることもなかったかもしれません。教育は自分を守る大きな力なのです。教育は生きていく上で必要不可欠です。自分の生きるうえでの選択肢も広がります。皆さんには石川一雄のようにならないように一生懸命勉強をしてください。2度と石川一雄を出さないように、との思いから、獄中から学校の先生と子どもさんたちに、一番多くの手紙を書きました」と話しました。

 また「今何を思っていますか?」という質問に「3月に裁判は棄却され、非常に残念に思っています。今全国各地で支援のお願い、無実の訴えをさせていただいています。つらいということはありません。おおくの人が応援をしてくださっています。第三次再審を命をかけて闘います。皆さんも勉強の合間に、家族、お友達などに狭山事件のことや、石川さんの思いを伝えてください」と話しました。みんな熱心にメモを取りながら聞いてくださいました。

 指導員の方が、「たくさんの人にカンパを頂いたおかげで、現調のとき子どもたちにお茶を買ってあげることができた。地域で多くの人に支えられて狭山に来られたことをほんまに感謝しとるんよ」と話されました。彼女の心に、そして子どもたちを送り出してくださった多くの人たちの心に、とても感動しました。
 また子どもたちが、お小遣いを出し合ってお土産を買ってきて下さったということも伺いました。胸がジーンとしました。


 昼ごろ、奈良県御杖村から学校の先生が現調に来てくださいました。2時間くらい交流会をした後、滋賀県の皆さんと合流し、現地調査に出られました。


 午後2時半ごろ、滋賀県の皆さんが現調に出かけられました。にわか雨が降りましたが、それでも涼しくならず、体調を崩されないかと心配しましたが、元気に現地を回ってくださいました。バスの中でも鳥越俊太郎さんがキャスターをされている 「ザ・スクープ 検証!えん罪の構図」で狭山事件が2月に放映されましたが、それを視聴しながら来られたそうです。
 
 私たちはしばらく狭山を留守にしていたので、狭山現地で多くの皆さんと久しぶりに出会い、元気な皆さんの笑顔と闘いに出会えました。
 奈良の女性から「2人ともほんとうに元気で明るいですね」と声をかけられました。
 私たちも元気で三次を闘う準備をしています。