2006年2月25日、福岡県の解放子ども会から現地調査に来て下さいました。
この時期、毎年中学生が現調にきてくださいますが、狭山の事前学習や、現調の報告などもされているそうです。福岡を朝出発し、電車を乗り継ぎながら狭山に着き、すぐ現調、午後から交流会というハードスケジュールでしたが、皆さんとても元気で、交流会では多くの質問が出されました。
Q:もう出られたのだから、そっとしておいてもらいたい、静かに余生を暮らしたいと思うことは?なぜがんばれているか?
A:無実なのに犯人として一生を送るのは許せない。狭山事件の犯人になぜされたか。警察も、検察も、裁判官も、被差別部落を狙い打ちにした。そのことを裁判官に語ってもらいたい
Q:石川さんが逮捕されてなく、他の人が逮捕されていたら?
A:当時は無知、無学で人権を守る運動がされていることさえ知らなかった。そういう意味では獄中で勉強をして多くのことを知ることができた。闘いの中で訴え、語る力をつけることができた。
Q:石川さんは両親に感謝していますか?
A:感謝というよりつらい思いをさせたことを申し訳なく思っている、私の無実は両親が一番知っている。犯人が脅迫状を届けたとされる時間帯には、家で家族と食事をしたり、テレビをみていた。しかし家族の証言は取り上げられなかった。私には今も見えない手錠がかけられている。だから、えん罪が晴れるまで両親の仏壇には歯を食いしばり手を合わせない。両親は天国で私を見守っていてくれる。
Q:石川さんは刑務所の中でなぜがんばれたのですか
A:全国各地の子どもたちの「石川兄ちゃんがんばって」の激励で支えられた。この子たちに恥ずかしくないように生きたい、二度と私のような人を出してはならないと思った。


 2006年2月20日、地元の高校生が現調に来てくれました。毎年A先生と共に来てくださっています。みんな真剣に石川の話に耳を傾けてくださっていました。「狭山事件のこと知ってましたか?」と尋ねると先生からお話を聞くまではほとんど知らなかったとのことでした。1人の高校生が「今日、母に、『狭山事件の石川さんの所に行って来るよ』と話すと母から『それはとてもいいことだ、よく勉強してくるように』と言われました」と聴き、とてもうれしくなりました。
 24歳で別件逮捕、狭山事件の犯人とされ、無実を訴え続けてきた年月「石川兄ちゃん、石川青年」と呼ばれていた石川が、社会に出たときは55歳と11ヶ月になっていました。32年間の奪われた時は帰ってきません。だからこそ石川はいつも子どもたちに、夢と期待を語るのでしょう。