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「碓氷地区労」から現調
6月4日、天気予報は雨で心配していました。太陽は顔をのぞかせることはなかったが、なんとか雨に会わずに現調ができほっとしました。肌寒い1日でしたが、それでも2時間近く歩くと汗がにじんできます。
朝早くにバスで群馬県を出発し、狭山に着いたのは10時でした。小さいお子さん連れで、家族そろって現調に参加して下さった方もいて、とてもうれしかったです。大勢で来て下さいましたが、狭山現調は初めてという方がほとんどでした。議長さんから「現地に来て、見て、歩いて、聞いて、狭山事件で犯人とされた石川さんは、えん罪ということを確信しました。検察、警察、裁判所が結託すればなんでもできる。それを許さない闘いの象徴が狭山事件。不正義は許さないという声を地元からもあげ、応援していきたい」と話してくださいました。何人かの女性が傍に来てくださって「来てよかった」と言ってくださったとき、力がみなぎるように思いました。男性もそうですが、特に女性の「一緒にがんばろう」の声に励まされます。ありがとうございました。
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| 「出会い地点」と称するX字型十字路 | 狭山現地事務所前で |
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「狭山事件を考える徳島の会」の現調
5月27日、「狭山事件を考える徳島の会」から現調に来て下さいました。毎年バスで来てくださっています。26日夜10時徳島を出発し、狭山に着いたのは昼前でした。26日も27日もずっと雨でした。運転も自分たちでされるので、雨の高速道路を走るのを心配していましたが、皆さん元気に到着し、安心しました。5月1日、現調に来られたOさんAさんも「徳島の会」の人たちと合流し、雨の中を現調されました。現調の後皆さんが両親の墓に花を手向けてくださいました。
私は徳島県の被差別部落で生まれ、育ちました。両親からは「被差別部落出身を隠せ」と教えられ、そのように生きていた私に、部落解放運動や、狭山の闘いに出会わせてくれた人たちがたくさん来てくださいました。30年近く前、被差別部落出身を「隠す」生き方から「隠さない」生き方を選んだ時も、そして今も、変わらない故郷の志を同じくする人たちです。狭山や、部落解放運動を闘う中で、共に涙したり、感動した仲間たち、狭山集会に参加するために夜を徹して車を走らせ続けたことも・・・そのころ共に闘った人たちの中には退職されたり、管理職になられたりと、立場は変わっても、生きかたは決して変わることがありません。今狭山に来て、改めてその人たちの生き方に鼓舞され、私もそのように自分の信じる道を生きたいと思います。みんなに出会えてほんとうによかったです。心からありがとうを・・・
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| 殺害したと称する「雑木林」跡地で | |
※「狭山事件を考える徳島の会」ネット狭山現調(2005年5月28日狭山現調)
鮎喰・人権サイト「2006年5月27日狭山現調」
※狭山事件を推理する 「2006年狭山現地見分」