アメリカからのお客様

 2018年12月15日、「日米芸術家交換プログラム」フェローとして、来日中の振付家、ホセ・ナヴァレテさんが通訳を兼ねたデビーさんと共に狭山に来て下さった。日本の伝統的な民族舞踊を学ぶために各地を訪問されているそうだが、差別問題にも心寄せており、兵庫県のKさんを通じて狭山に来て下さることになった。13時狭山現地事務所で熱心に石川の話を聴き、多くの質問もされ、その後現調に。
 兵庫県のKさんのお父さんは石川と同じ年で、以前から、「狭山事件」がうちの近所で起こっていたら、父が犯人とされていたかもしれない、と石川を自分の父と重ね、支援し続けてくれている。
 2002年2月に「ボブティラン」に会い、狭山の歌を作ってもらおうと、英語のできないK姉弟がアメリカに飛び立った。アメリカからネットで送られてくる「石川一雄さんの歌を求めて」~ボブティランへの道~の二人からの報告は機智と勇気に富み、楽しみにしていた。ボブティランには会えなかったけれど、二人の戦いと、それを支えてくださった多くの人たちの思いは今も熱く蘇る。アメリカで出会った人たちと、今も交流し、広い視野での反差別の戦いを続けているKさんのたくましくしなやかな生き方と、発想の柔らかさとやさしさ。あれから16年が過ぎた今も変わらない。

 12月21日は仮出獄の日、結婚記念の日ということで「少し早いけれど」と素敵な花束とお祝いのプレゼント、お手紙を頂いた。
彼女たちとの最初の強烈な出会いは20年前、私が狭山に来て間もない頃の狭山集会だった。

   

デモ行進の最終地点で彼女から「父の還暦祝いをします。石川さんと父は同じ年です。父と一緒に石川さんの還暦祝いをぜひしたい」と招待された。驚いた。ずっと支援してくださっているとはいえ、お名前も知らない人から突然そのように招待されたのだ。その時は温かい気持ちだけ頂いてお断りしたが、その時以来のお付き合いだ。

彼女にはいつも驚かされる。
石川には全国に多くの子どもや孫がいる。本当に幸せなことだ。