5月11日、朝7時13分、メールが届いた。.

徳島のSさんからだった。「今日の徳島新聞狭山記事が載っているよ。今日は昼頃に徳島の現調のメンバーが着くのでよろしく、徳島新聞のK記者も一緒に参加します」と書かれていた。
Sさんは、私が徳島で働いていたころ、労働組合活動や、部落解放運動を共に闘ってきた同志だ。1976年、部落問題研究会(1978年、部落解放闘争実行委員会と改称)が発足したとき「一緒に闘おう」と役員になるよう説得された。あれから48年が過ぎた。
Sさんは管理職になっても、職場を定年退職された後も、徳島の住民の会で中心的に活動されている。真っ直ぐに自分の信念を貫かれた。
1997年に私が狭山に来て27年。1997年に結成された徳島の住民の会は、それ以降、部落解放徳島地方共闘会議、部落解放徳島青年共闘会議、特定非営利活動法人みずすましの会等と共催しながら、毎年必ず狭山現調にきてくれた。マイクロバスを借り、夜10時に徳島を出発、交代で運転、車中泊をして狭山まで来る活動が27年間続いている。
 今回初めてSさんが現調に来られなかった。
 11日、11時半頃狭山に着き、昼食後集会所で学習会。一雄は「読み書きができないことがいかに切なく不自由か。」「獄中で看守さんに文字を教わったこと」「当時、受刑者(死刑囚)の何人かは、獄中で『文鳥』を飼っていたが、私はダンボール箱の中に『ゴキブリ』を飼っていた。食事に出たご飯を残し干して餌にしたこと」「元気な間に無罪を勝ち取りたいこと」「狭山の現状」等話し、支援の訴えをした。
14時から現調、最後に一雄の両親の眠る墓前で全員が手を合わせ勝利まで闘い抜くことを報告された。
夕食・懇親会には、義姉の石川ウメ子さんが、赤飯のおにぎりや、手作りのたくさんの料理の差し入れ。
とてもおいしかった(*^-^*)
翌12日は朝8時にホテルを出発し、徳島には夜11時に着いたとのメール。
皆さんが、10日夜10時、徳島を出発、車中泊をし、11日、学習会、現調。12日朝ホテルを出発をし、夜11時に徳島に無事帰られた。
ホッとする。

全国で多くの人たちが、狭山の横断幕や、手作りのゼッケンをつけ、情宣行動や狭山・座り込み、集会等で、再審開始と、無罪判決を勝ち取るための行動を、雨の日も、雪の日も続けられている。
狭山の闘いは「権力犯罪」「差別裁判」として権力と対峙し、検察の証拠隠し等あらゆる妨害にあいながら、それでも、決してあきらめずに、幅広い多くの支援を頂きながら闘い続けてきた。

    

一雄は「真実は必ず明らかになる」との信念

多くの人のご支援を頂き闘い続けている

それでも60年 何とか元気な間に再審開始、無罪判決を勝ち取りたい

4月に植えたイチジクの木にいっぱいの若葉が

ブドウもいっぱい青い実をつけた

さぁ 今度は狭山だ