2021年11月25日

「石川には投票用紙は届きません」声の限りに石川早智子

 
東京・墨田:京子さんより写真提供 

 2021年11月24日、東京高裁前で第5回目のスタンディングが、部落解放同盟東京都連女性部を中心に行われた。東京、埼玉、千葉からも仲間が駆けつけてくださったそうだ。大きなディスプレイの登場や、マイクアピールも行われ、元気に狭山が闘われた。2022年1月には、49回目の三者協議が行われる。「狭山事件の再審を実現しよう」フェイスブックに詳細があります。

 11月23日は狭山23デー。全国各地で様々に狭山が闘われた。荒川のOさんから「~荒川の23デー情宣(スタンディング)をこれまでの南千住から場所を変えて町屋駅前で10人で行いました。絶好の情宣日和で、足を止めて訴えを聴いたり、プラカードをじっと読んでくれたり、高裁・大野裁判長への要請はがきを『出します』と受け取ってくれた人もいました。~『上野でもやってたよね』と言ってくださった人もいたそうで、継続して、各地で訴えていくことが大切だと改めて感じました。~正念場に向け、お身体を大切にしてください。(一部抜粋)」とのメールと写真を送って下さった。

 加須(埼玉)のAさんから「今日は南越谷スタンディングに参加してきました。参加者は15人でした。空気は冷たかったけど、スタンディング日和で、元気に石川さんの無実、狭山事件の再審開始を訴えました。~たっちゃんは、コルセットを腰に巻きつけ、今日もディスプレイをはじめ、鴨居や、パネルなど、車に詰め込んでの参加でした。~たっちゃんと2人で、今はMさんが大変だから、私たち2人だけでも良いから越谷と加須のスタンディングを始めようと決めた時、まさか今のようなスタンディングが実現できるとは思っていませんでした。~狭山の闘いをもう一度、地域から草の根的に作り上げて行きたいと思います。~(一部抜粋)」

 11月19日、墨田区民共闘会議で押上駅前でのスタンディングの報告メールを京子さんから頂いた。「~久しぶりにリレー方式でマイク情宣を行いました。やはり、生の声での訴えは、道行く人に届いているという手応えがありました。高裁へのハガキを手にした方が、引き返してきて『あと、3枚下さい』と再度ハガキを取りに来ました。~10月29日、2年ぶりの日比谷野外音楽堂の狭山集会で元気な石川さん、早智子さんに会えていっそう力が入っています。~(一部抜粋)」

 11月23日は、石川富造さん(一雄の父)の命日だった。1985年11月23日、部落解放同盟のYさんから訃報の知らせを受け、気持ちの錯綜する中で、お別れの言葉を書いたそうだ。あれから36年、一雄も、87歳だった富造さんの年齢に近くなった。
一雄の心と一緒に両親の墓前に手をあわせた。
この日(2021年11月23日)、部落解放同盟の機関誌と狭山パンフレット(月刊)の取材だった。両親の話を続ける一雄の心の寂しさを感じた。 

11月21日、荒川のOさんからお手紙、寄せ書きが届いた。11月11日、部落解放荒川区民共闘会議主催で狭山学習会が開かれたが、その時の報告や、写真、参加者からの寄せ書きだった。モミジや、イチョウ、ブドウの葉っぱの形に切り抜いた紙に「勝利の日まで全力で闘います」等書かれていた。皆さんの温かい心が届く。

 11月23日、山梨のメグさんから干し柿、手作りのソックスが届いた。昨年に続き、近くのお米屋さんから頂いた干し柿と、メグさんの友人から送られたソックス。
メグさんがあちこちで狭山事件の事、石川一雄の事を話して下さり、その人たちが石川にエールを送ってくださる。地道な闘いが狭山を支える大きな力になっている。

10月29日、日比谷野外音楽堂で開かれた狭山中央集会にも、体調がすぐれない中を、お連れ合いさんと一緒に来て下さったメグさん。私は集会の中で、「10月31日には、衆議院選挙ですが、石川には投票用紙はきません」と話した。

メグさんから届いた歌だ。

 「石川には投票用紙は届きません」声の限りに石川早智子