2021年12月21日   心から笑える日

12月21日、せっちゃんからシクラメンの鉢植えが届いた。
毎年12月21日に素敵なプレゼントが届く。
メッセージに「25年目の結婚記念日、おめでとうございます!いつまでも、お二人仲良く、お元気で。お体に気を付けてお過ごしくださいね」とあった。
せっちゃんは一雄の若かりし頃の青春の思い出の人の姪になる。十数年前せっちゃんからのメールで交流が始まった。中学生くらいの時、狭山事件を授業で聞いたことがあったそうだが、そのまま年月が過ぎた。あるとき、本屋さんで狭山事件の記事を読んだそうだ。そこには彼女の亡くなったおばさんと一雄がボートに乗っている写真が載っていたそうだ。事件発生当時、彼女の家にもマスコミが行ったそうだ。彼女の家族には迷惑をかけただろうと思う。
それでも彼女は、一雄を慕い、とても温かく接してくれた。家に遊びに来たり、一緒に食事に行ったりした。埼玉県連が毎年3月に開いている「浦和地裁・死刑判決糾弾集会」や、5月と10月に日比谷野外音楽堂で開かれている「狭山中央集会」にいつも来てくれていた。
最近体調を崩し、しばらくお会いできていない。とても心配しているが、逆に彼女が私たちの事を心配してくれている。
一雄にとって、特に大切な人からの贈り物だ。せっちゃんありがとう♡♡♡

   

 21日、埼玉のAさんからトマトとユズ茶が届いた。ユズ茶は私の大好物だ。私も作ってみようとユズ茶作りに挑戦したが、うまくできなかった。私は料理も苦手なのだ。彼女はきっと21日にあわせて送ってくださったのだろう。
彼女の、はにかんだような笑顔が目に浮かぶ。

 熊本の淳子ちゃんから長いメールが届いた。
彼女と出会ったのは20年位前、愛媛県での集会だった。十数年前に熊本に転居された。しばらくして体調を崩されたが、体調のいい時は「くまもと『狭山事件』を考える住民の会」の坐り込みにも参加されている。「いわゆる銀婚式、なんでしょうかね~?お二人とも、私たちもおめでとう!(彼女も25年になる) 早智子ねえさんが一雄さんと共に生きて下さったこと、心から感謝します。お二人が私たちの前に強く立ち続けて下さっている事が、私の励みであり、支えでもあります。~私も可能な限りは熊本の23日の坐り込みに参加したり、10月31日のデモに参加したりしています。『熊本住民の会』の皆さんにとてもやさしくしていただいています。坐り込みは11月から新しくなった辛島公園に戻りました。来年はお会い出来るといいなぁ。ホームページ毎日見ていますので、各地での予定など決まりましたらお知らせください。~(一部抜粋)」 今彼女は介護でも大変そうだ。
10年位前、熊本の集会に行ったとき、彼女は体調がとても悪いのに、会いに来てくれた。彼女の優しさに涙した。彼女に会いたいなぁ!

20日、千葉県のKさんからすてきな花束が届いた。
メッセージに「銀婚式おめでとうございます。心から笑える日が早くきますように。」とあった。
石川が仮出獄した日は1994年12月21日。私たちが結婚したのは1996年12月21日。早25年になるんだ。慌ただしく、いろんなことがあった25年だった。

1999年7月、第2次再審請求が棄却された。
2006年5月、第3次再審請求から15年。
この間、2008年に石川は国連(スイス・ジュネーブ)で、「無実」「証拠開示」を訴えた。最後に「アイアムイノセント(私は無実です)」と締めくくった。このことが一番印象に残る出来事だった

2009年9月、第1回三者協議が開かれ、12月、東京高裁・門野裁判長が8項目の証拠開示勧告をした。
2010年5月、検察は、5項目36点の証拠を開示した。大きな一歩だった。
2013年10月、金聖雄監督の映画「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」の完成上映会があった。
2014年「第69回毎日映画コンクール」ドキュメンタリー映画賞を受賞、金監督と授賞式に臨んだ。2013年「第87回キネマ旬報ベストテン」で第3位に。「冤罪 狭山事件」を天下に知らしめてくれたような気がしてうれしかった。

   

2016年からこれまで、下山鑑定・福江鑑定等、「石川無実」を明らかにする科学的な多くの鑑定が出された。2022年は鑑定人尋問・証人調べをなんとしても実現させる年にしなければならない。

 これまで結婚記念日を意識せず過ごしてきた。今回、石川が「ケーキ」を買ってきた。驚いた。(*^。^*)
80歳代と70歳代の私たちは、これから何年生きられるかわからないが、二人の思いを貫きたい。