「部落差別がなくなりますように」 2023年7月9日  部落解放祈りの日の礼拝

 7月9日、東京の、日本キリスト教団・掘切教会で「狭山」を話させていただいた。
コロナ禍の中で3年ほど中止されていたが、昨年10月に久しぶりに皆さんとお会い出来、とてもうれしかったことを覚えている。一雄が目が見えにくく、階段の昇降に不安があり、最近は、電車等で少し遠くに行くことは控えていたが、車で送迎をしてくださった。今、教会を新築中で、今年の11月には完成し、そちらに移るそうだ。

   
 教会の壁に貼られているポスターや一雄の短歌が  

堀切教会に毎年呼んで頂き、15年以上になるだろうか。きっかけは、20年ほど前、教会で狭山の署名を教会員にお願いをした所、H・節恵さんが「狭山事件をもっと知りたい」と思われ、千葉の住民の会が主宰される「狭山学習会」に来て下さった。その後、彼女が通っている堀切教会にも呼んで頂くようになった。真鍋牧師とは、それ以前、葛飾で開かれていた狭山集会や日比谷野音で開かれていた狭山中央集会に参加して下さっていたことを後に知った。

 
 2017年1月 お母さんと(セッチャン)

 節恵さんは、その後、友人たちと一緒に、毎回日比谷で開かれた狭山中央集会に来て下さった。

手作りのパッチワークのリュックサックや、12月には手作りのシュトレンのケーキ、毎年3回ほど段ボール箱一杯送ってくださる菓子や手作りの小物類。「元気でいて下さい。ゆっくりしてください。おいしいものを食べてください。」の温かいお手紙が何時も添えられていた。「ゆっくり一泊旅行でもしてね」とカンパを頂いた事も。無償の愛を一杯注いで下さったセッチャン。

2018年1月に突然亡くなられた。母のような存在だった。彼女は私たちの希望であり、道しるべだった。
教会に着くと、皆さんが作られたおにぎりをご馳走していただいた。私たちを迎えるために「上をむいて歩こう」「勝利をのぞみ」を手話で練習されたそうだ。2016年に、皆さんと撮った集合写真を持ってきてくださった方がいた。セッチャンご夫妻もにこやかに写っていた。
石川は「刑務所の中でいくら涙を流したかしれない。しかし、このような結果を招いたのは『自白』した自分自身にある。だから自分を責めても支援者に涙を見せられない、泣き言を言ってはいけない、との精神で面会にも出た。仮出獄で出る時は葛藤したが、出してもらって良かったと思っている。いろいろと制限はあるが刑務所にいる時より自由だし、多くの支援者皆さんともお会い出来る。今は狭山もビルばかりだが、60年前の狭山は、雑木林ばかりで、ホタルや、雲雀がたくさんいた。最近昔の事を良く思い出す。
明日(7月10日)は保護司との面談がある。『無期懲役』なので今も見えない手錠に繋がれたままだ。裁判も9月か10月ごろには一定の方向性が出るのではないか。鑑定人尋問を実現させ、今度こそ『再審開始』になるよう更なるご支援を」と訴えた。
少し風邪気味で声はかすれていたが、命を懸けた訴えだった。
会場から「石川さんの声は自信に満ち、真っ直ぐな視線で前を見ている。これからも上を向いて歩いてほしい」「訴えを聞いて心が騒ぐ。支援し続ける」「司法がおかしい。何としても冤罪を晴らしてほしい。一緒に支援していく」等々、温かい発言に一雄も笑顔がこぼれる。

 お子さんからひまわりの花束を。いつもセッチャンと狭山集会に来て下さったSさんからお手紙とラベンダーの花束。今年もシソジュース・ジャムを作ってくださった方。素敵な手作りのブローチも頂いた。セッチャンと一緒に狭山集会に来て下さっていたIさんともお会い出来た。

     

風邪気味で体調の良くなかった一雄にとって、心安らぐ時間だったのではないか。
皆さんありがとうございました。

 家に着くと、兵庫のMANAMIさんから宅急便が届いた。中から色とりどりのいろんなものが。スイートコーン、マクワウリ、プリンスメロン、ミニトマト、ニンニク、牛筋ぼっかけ、わらび餅、アン蜜、ヨモギ餅。魔法の玉手箱だ。目に楽しく、うまい。私たちは幸せだ。