近況   一雄の短歌   2023年9月23日

 今年は狭山事件60年の節目の年であり、これまで一雄が作った短歌を何らかの形で残したいと思っていた。
1994年12月に仮出獄、1996年12月に結婚し、翌年7月に早智子が狭山に来た。
1999年7月、東京高裁・高木俊夫裁判長が再審請求を棄却した。大きなショックだった。
その時、私に何ができるかと考え、「狭山事件のホームページを立ち上げ多くの人に発信できれば」と思ったが、それまでパソコンに触ったこともなく、逡巡しているまに時間が過ぎた。
 2000年からパソコン教室に通い、5月、何とかホームページを立ち上げることができた。
あれから23年。「えん罪・狭山事件」のホームページを、多くの人の力を借りながら続けることができている。

2000年までの短歌は残念ながら残していないし、一雄が即興で各地で詠んだ短歌の多くも残っていない。ただ、ホームページには多くの短歌が残っていた。
 一雄が生きた証。闘い続けてきた人生を、短歌という形で残したいと思った。
「えん罪・狭山事件」は最初からずっとファイルで残してきた。現在79冊目だ。
今年初めころからホームページから短歌を拾いだし始めた。4分の3以上拾いだした頃、知らないまに削除していた。"(-""-)"
探してもない。頭が真っ白になった。しばらくはショックで立ち直れなかった。

 8月頃、思い直して最初からやり直し始めたが、全然進まない。そのころ、越谷のMさん、加須のAさんから「何か出来ることがあれば手伝いたい」とのメールが。実は以前からそのように言ってくださっていたが、「自分でできることは自分で」「甘えない」との思いでいた。
しかし、「このままでは出来ない」と思い、お願いする決心をした。

 ダンボール箱6箱。見直してみると、間違いの字や、変な文章も一杯あるが、懐かしい人、懐かしい集会。
うれしい出会い、悲しい出来事がいっぱい詰まっていた。
 石川の闘いの歴史であるとともに、私の闘いの歴史でもあった。
スイス・国連に行き、「私は無実です」と一雄が訴えたこと。高裁前でのアピール。築地本願寺での宗教者の狭山集会。どれもどれも心に残ることばかりだ。

 23日、午後、南越谷スタンディングを終えられたAさん、Mさんが狭山まで来て下さった。本当ならお願いする私が行かなければならないのに。
79冊のファイルブックのうち、24冊までは作成済みだったので、残りのファイルブックをお願いした。
私は凄いせっかちで、パソコンを何度も何度もクリックして、失敗することが多い。
Mさんが、私のパソコンの操作を見て、「私もせっかちですが早智子さんがもっとせっかちですね」と  "(-""-)"  そうなのだ。

 わざわざ狭山まで来て下さったお二人からブドウ、梨等を頂き恐縮するばかり。
Aさんからは、手作りのショウガの漬物や、青唐辛子味噌を。
Mさんからスタンディング等で頂いた署名102筆を頂いた。

 遠くから来て下さり、たくさんのファイルブックを持って帰って下さった。
どうしてもまとめたかった一雄の短歌。
お願いをしながら、これをどのように作っていくかまだ決めていない。今は「ただただ何とか残したい」との思いだけだ。
これまで作ろう、作ろうと思っていたが、焦ってばかりでなかなか進まなかった。少しホッとした。
これから出来ないことがひとつずつ増えていくのだろうが、皆さんに力を借りながら、これからも自分なりに精いっぱいがんばりたい。

今日、一雄は朝から現地事務所に籠っている。
3年ほど前までは一日中現地事務所にいて、書き物や、読み物をしていた。
目が見えにくくなり、メガネにルーペを使って読んだり、書いたりするのが難しくなってから、メッセージを書く時以外は余り事務所に行かなくなったが、今日はなにか書きたい事があるのだろう。

 昨日9月23日、一雄「今日は60年と4カ月目の9月23日」と言った。