近況    2024年5月5日

  1963年5月1日、61年前のこの日、狭山事件が起きた日だが、一雄は何事もなく、一日を過ごしていた。
2024年5月1日、午後2時ごろ、本部からビデオメッセージを撮りに来たYさん、Fさんが「小学校1~2年生頃から、お父さんについて仕事(草むしり等)に行っていた山学校のあたりに行ってみよう」ということで、山学校まで行った。午後3時半ごろからビデオ撮影。
気持ちが沈みがちな一日だったが、忙しく過ごせたことがよかった。


 家に帰ると、東京のA・正子さんからのお便りとたくさんのカンパが届いた。彼女も杖をついて歩いているそうだが、「藤本事件」をずっと支援されている。長いお手紙の最後に「私は『藤本事件』のことで一杯で早智子さんたちの運動に何のお役にもたてません」とあった。また「お返しも手紙のお返事もいりません。なにかお好きなものを召し上がって下さるとうれしいです。」とも。急いでお電話をすると、あっけらかんと「そう、着いたの。お手紙も何もいらないから、おいしいもの食べてね」と話され、今藤本事件のいろいろな資料を整理していること、これからがスタートと、とても明るい声で話してくださった。
彼女と話すと元気になる。


 5月3日、神奈川のシスター・ミサイさんからファクスが届く。「~私は今シルバーカーで歩いておりますのですべてはお休みしております。だから、以前送っていただいた狭山の資料を再読しています。~鎌田さんの書かれた「狭山事件」の本の一部をコピーして検察官にお送りしました。~熊本のIさんが送ってくださった「狭山特集記事」の一雄さんの短歌に、一雄さんの心理描写がすばらしいので、こちらだけに留めて置くのはもったいないと思い、聖母騎士社に送りました。~一雄さんの「満座の声」が私に響いています。一雄さん、早智子さん『時』は必ずきます。その時を待ちましょう。(一部抜粋)」


 5月4日、フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」管理人のミカさんからレターパックが届いた。中には445筆の署名が。
お手紙には「丸木美術館さんに置かせて頂いていた署名です。445筆ありました。新しい用紙(家令裁判長あて)は送ってあります」と書かれていた。
うれしかった。何年も前にミカさんが丸木美術館に行ったとき、丸木美術館のスタッフにお願いして狭山の署名用紙を置かせてもらっていた。丸木美術館のスタッフからこれまでに何度も署名を送ってくださっていた。
ただただ感謝だ。


この日、一雄は廊下に敷いてある絨毯を洗った。(3枚)一雄はすごく丁寧なので、11時過ぎから17時過ぎまで6時間位かかった。何かに没頭しているとあまり考えないので良いという。でも「腕が痛い」と言っていた。


 一雄は野菜も果物も好きでよく食べる。
4月にイチジクの木を植えた。毎日見ている。最近青い葉っぱが出てきた。(*^-^*)
実はいつ頃生るのだろう。
サンショの木も30センチくらいの大きさになった。