あの日から
2025年3月11日、石川一雄が急逝した。誤嚥性肺炎だった。
3月19日 通夜
3月20日 告別式
4月 4日 第4次再審請求を申し立て
狭山を担当するのは第4刑事部 家令裁判長 (第3次再審請求と同じ)
4月 8日 司法記者クラブでの記者会見
4月11日 連合・部落解放中央共闘会議共催の現地調査
4月12日 部落解放埼玉県連「第73回定期大会」
4月16日 石川一雄 追悼集会
4月24日 2024年度・東北教区部落差別に学ぶ協議会から現地調査
4月26日 埼玉県連女性部「第51回定期大会」
4月28日 一雄の49日
4月29日 部落解放を考える婦人の会 現地調査
49日と言っても何もしなかったが、MITUNORI、MANAMMIさん、メグさん、加須のAさんや、越谷のMさん、Nさん、多くの方から生花を頂いた。
またこれまで、全国各地・多くの方から素敵な生花や、ブリザーブドフラワー等を頂いた。
私が「一雄はにぎやかで、明るいのが好きだった」と話していたので、皆さんがにぎやかにしてあげようと送ってくださったのだろう。ただただ感謝だ。
一雄が、T製菓で働いていた時、お付き合いをしていたEさんの姪・Sさんからも、何度も何度も生花を送って頂いた。一雄はきっと喜んでいるだろう。
現地事務所も、家も花でいっぱいだ。線香の匂いよりも花の匂いで充満している。
今、いろいろ整理をしているが、なかなか進まない。
一雄のメモ書きの短歌や、ノートに書き留めた短歌もたくさん出てきた。
短歌を読む度に、一雄の悲しさや、無念、怒りに触れる。楽しい短歌は少ない。
いつも明るく、前向きに生きていた一雄。
でもやっぱりいっぱい苦しくて、いっぱい悲しくて、いっぱいの怒りがあったんだとあらためて思う。
ウグイスの短歌があった。
今頃はウグイスになって全国各地を訴えて飛んでいるだろうか。
それとも行きたかったケニアに行って、野生動物をみているかなぁ。
これまで頑張って頑張って頑張って生きてきたね。
もう頑張らなくていいね。
「後はまかせたよ」そのように言っている一雄の声が聞こえるよ。
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