東京新聞WEB版6月10日号  こんどこそ狭山再審開始を 鎌田慧    
  袴田事件無罪判決の後、期せずしてあがったのは、「次は狭山だ!」の声だった。袴田事件は解決までに58年もの歳月を費やした。1963年に発生した狭山事件で、62年間、無実を叫んで認められないまま、石川一雄さんは無念を胸に抱いて、世を去った。鹿児島県大隅半島の「大崎事件」。原口アヤ子さんは97歳。これまで三度も再審開始が決定されたのに、検事抗告によって取り消され、いま、病床に臥せったままだ。「開かずの扉」。身震いさせるほどの国家の非情である。
 5月23日。東京・日比谷野外音楽堂で、「石川一雄さん追悼!東京高裁は再審開始を!」集会がひらかれた。この日、5月23日は、63年前、石川さんが逮捕された日である。別件で逮捕され、両手錠、腰縄で連行される瞬間を捉えた新聞社の写真が残されている。逮捕された石川一雄さんは24歳、途方に暮れた表情である。畑の作物を盗み食いした、などの別件逮捕だったが、新聞社が張りついていたのは、その少し前、東京台東区で発生した誘拐殺人の「吉展ちゃん事件」で、警察の失態から犯人を取り逃していたこともあって、埼玉県狭山市で発生した、女子高校生誘拐・殺人事件は、大ニュースとなっていた。
 石川さんはもちろん全面否認、勾留期限が切れる直前に仮釈放された。が、警察署の玄関を出かかったとき、再逮捕された。このどんでん返しが与えた精神的ショックは大きかった。それで脅かし、あらゆる手段を使って、袴田事件とおなじ、虚偽の自供調書を捏造、証拠まで偽造した(詳細は拙著『狭山事件の真実』)。
 第一審死刑判決。第二審無期懲役。第三次再審請求は、本人死亡で審理終了、となった。妻の早智子さんが第四次再審請求人となった。東京高裁の家令和典裁判長が引き続き、審理を担当、来年3月に退官される前に、初めての証人(鑑定人)尋問、それから再審開始に向かう、とする期待が強まっている。
 5月23日の集会には、足利事件の菅家利和、東住吉事件の青木恵子、湖東記念病院事件の西山美香さんなどの冤罪解決者、再審法改正に取り組んでいる鴨志田祐美弁護士、落合恵子さんなどが参加、発言された。再審請求人となった、石川早智子さんの挨拶。
 「一雄が亡くなった3月11日は、一審・浦和死刑判決から61年目の日でした。今日の集会に出ることを目標に、最後の最後まで、闘い続けながら、志半ばで力尽きましたが、精一杯生きた一雄に「よく頑張ったね」と言いたいです。私は今78歳です。なんとしても生き抜いて無罪判決を勝ち取りたいです」といって、志半ばにして他界した、夫の短歌を紹介した。
       「裁判官家令に託して10人目 期待と不安で胸騒ぐ」
 無罪になってようやく「視えない手錠」を外せる。それから、遺骨を散骨する。徳島市の月見が浜(丘)の彼方へ。早智子さんと初めてデートした海へ。仮釈放されて、ここではじめて自由に泳いだ。なにものにも縛られず、自由気ままに、海に漂っていたい。「私も散骨したい」、と早智子さんはわたしに言った。「またどこかで、彼と出会うことを思いながら」。