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ー2004ー
12・19石川一雄さん仮出獄10年!狭山再審闘争勝利!団結餅つき大会
1994年12月21日、石川一雄は31年7ヶ月の受刑生活の後、仮出獄で故郷・埼玉県狭山市に帰ってきました。その時詠んだ歌が「えん罪の受刑生活解かれども故郷に立ちて吾は浦島」でした。30年余り獄中から無実を叫び続けながら冤は晴れず、仮出獄という形で社会に出てきたものの、両親はすでに他界し、故郷は昔の面影もほとんどなく、アスファルトの道路、高層住宅、携帯電話、駅の自動改札など、何を見ても驚きの連続だった10年前・・・余りの変わりように浦島太郎と詠んだ石川の気持ちが痛いほど感じられます。
戸惑いと、感動、この間の2度の棄却での落胆と怒り、悲しみ、そして喜びも・・・そのような多くの経験をしながら、やっと10年が過ぎました。
12月19日午前10時から開かれる予定の団結餅つき大会(部落解放同盟埼玉県連主催)に、午前8時ごろから人が集まり始めました。薪割りをする人、もち米をとぐ人、かまどに火をつける人、午前9時ごろには蒸し器から湯気が昇り、蒸しあがったもち米は、次々と2つの臼の中に入れられます。杵音がまわりに響き、つきあがったばかりの熱々の餅を取り上げ、たちまちにきなこ餅、あん餅、そしておろし大根をからめた餅と、刻みねぎと納豆を絡めた餅(初めて食しました)に・・・・・とてもおいしかったです。
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昼前には餅つきも終わり、集会所でつきあがったばかりの餅や、持ち寄った多くの御馳走をいただきながら、和やかに交流会が始まりました。
餅つきは40年ぶりという片岡埼玉県連委員長は「勝利まで粘り強く闘おう。差し戻しされることを確信している。来年は再審の扉を開かせて、石川さんの無実を勝ち取る年に」と挨拶されました。
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「石川さんを支援する埼玉連絡会会長」(県南・石川一雄さんを支援する会会長)の秦哲美さんは「石川さんは、権力の弾圧にも負けず、文字を獲得したり、歌を詠むことを続けてきた。いまだ見えない鎖に繋がれ大変だと思うが、石川さんの闘いは二度と冤罪を起こしてはならないという闘いでもある。石川さんが正々堂々と、どこにでも自由にいけ、好きなことができるように、皆さんとともに全力で闘っていきたい」との挨拶は胸に迫りました。
共闘や、各住民の会の皆さんからも挨拶をいただきました。
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この日石川はギターとハーモニカを持参していました。ハーモニカは3年ほど前、真宗大谷派、仙台教務所から現地調査に来られた相良晴美さんからいただいたものでした。そのとき石川は「練習して『差別裁判うちこだこう』『解放歌』をマスターしたい」と話していました・・・・・ギターで「悲しい酒」を奏で、ハーモニカで「差別裁判うちくだこう」を独演?しましたが、「悲しい酒」は会場からの歌声に、「差別裁判うちくだこう」は手拍子に助けられました。
とても楽しそうな石川の表情に上手・下手は関係なく、大きな拍手をいただきました。皆さんの笑顔と温かい心に包まれた一日でした。
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このあと狭山事件を中心テーマに歌ってくださっている「うっちゃんバンド」が「解放歌を歌うとき」「ひまわり」など歌ってくださいました。「ひまわり」は徳島の母をイメージして作ってくださった歌です。どの歌もとてもいい歌なので多くの人に聞いていただきたいと思います。
来年の正念場の闘いに向けて皆さんに大きな力をいただきました。ありがとうございました。
トップの歌「人の世に触れて冀望の10年も浦島太郎は未だ自由なき」はこの日、石川が詠んだものです。
2004年12月21日
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2004年12月1日、「狭山事件の再審を求める市民集会in関西」が狭山事件の再審を求める市民の会(文化人の会改め)の主催で兵庫県で開かれました。兵庫・大阪からだけでなく、鳥取、奈良・愛媛・徳島各県からも来ていただいたことをお伺いしました。(『豊中・狭山事件研究会「ストーン・リバー」』に集会内容が掲載されています)
また12月4日は、福岡県添田町の解放子ども会の皆さんが現地調査に来てくださいました。12月5日は、石川は奈良県で開かれた解放保育研究集会に出席、そして12月7日には東京新聞で狭山事件を大きく取り上げていただきました。本当にありがとうございました。