2005年9月2日、部落解放同盟兵庫県連から手紙が届きました。
 「8月30日県連事務所に女性が訪ねてこられて、早智子さんに届けてほしいと、お手紙をお預かりしましたので転送いたします。
『狭山事件に関する署名用紙はこちらにありませんか?』と入ってこられて、現在は第三次請求に向けての準備中ですので、新たな署名用紙とか、取り組みのお知らせをさせていただきますのでと、連絡先をお聞きしています。石川さんへの封筒には差出人の住所・お名前が明記されていませんが、ご本人の匿名意思を尊重し、そのまま転送させていただきます」と書かれていました。送られてきた手紙の中に一通の匿名のお手紙が入っていました。その中に『私は、兵庫県に住む一主婦です。少ないですが、石川さんのためにお使いください。ずっと応援しています。晴れの日は必ず来ると信じます。Y・H」一部省略させていただきましたが、そのように書かれていました。そして一万円が同封されていたのです。驚きました。Y・Hさんの狭山や、石川一雄に寄せていただいている深いお気持ちに感謝の言葉も見つかりません。Y・Hさんありがとうございました。人生を踏みにじられたかに見える(思える)石川が今もまっすぐで、前向きに生きていられるのはたくさんの人の心に支えられているのだと思います。石川と出会い、私はもっと人が好きになりました。


 2005年3月16日、特別抗告は棄却されました。「今度こそ」の思い、期待が大きかっただけに落胆も大きく、暗澹とした日々を送っていました。そのような時「このような時期ですが、長野県にきませんか?自然や、土とふれあい、信州でゆったりと時間をすごし、気力を充電しませんか」とAさんからお誘いをいただきました。「いつかぜひ」とお願いをしました。石川は、「多くの皆さんに支援を頂いているのに遊びに行くなんてことはできない」と言っていましたが、「ジャガイモを掘ったり、大根の種を一緒に植えたり、草をとったり、一緒に汗を流してみませんか?」とのAさんの言葉に子どものころ農家に畑仕事を行っていたころを思い出したのか、それから長野に行く日をとても楽しみにしていました。
 
 8月のある日、思い切ってAさんの実家に寄せていただきました。目の前に広がる浅間連峰、「煙の出ているあの山が浅間山、その前の山は剣が峰、一番手前の山は、高峰山です。夏もすばらしいけれど冬の景色もまた格別です」と説明をしていただきました。そこに立っているだけで、悠然とした景色を見ているだけで、活力が湧いてくるように思えました。石川は畑仕事をするため長靴を用意していたのに、忘れてきたことを何度も悔やんでいましたが、Aさんに貸していただき、嬉々としてジャガイモを掘り、大根の種を植え、茗荷を取りながら、「昔、お袋が茗荷を一杯植えていて、好きでよく食べた」ことや、トマトを収穫しながら、「採ってすぐのトマトはやっぱり味が違う」と言いながら、食べていました。
 
 畑仕事を終え、高峰高原や、近くのりんご畑に案内していただき、一瞬、裁判のことを忘れるような時間をすごしました。
 名も知らない高山植物に心を奪われました。

 生きているってことは、苦しいことばかりじゃなく、素敵な心にであったり、草花や、昆虫にであったり、だからいいんだよな〜と思えた1日でした。Aさんとパートナー のSさんたちほんとうにありがとうございました。

ジャガイモの収穫 フルーツトマトは特においしかった!
浅間連峰を眺めて 名も知らない高山植物
大きなりんごが一杯感動! 大好きなコスモスが咲いていました