2005年11月3日〜4日まで埼玉県で第42回護憲大会があり、「狭山裁判・再審の実現を」の問題提起をさせていただきました。
 4日午前9時半から現地調査、午後から石川が「43年目に突入した狭山事件 第三次再審闘争への決意」を述べ、質疑討論がされました。狭山現地調査は初めて、という人がほとんどで、「狭山事件は絶対えん罪と確信」「百聞は一見にしかず、現地に来てよかった」と感想など伺うことができ、私たちも心強く思いました。


 11月5日、部落解放大分県民共闘会議 第14回定期総会で、狭山を訴える機会を頂きました。会場にはほとんど毎年、休みを取って狭山現地まで来てくださっているAさんが、お連れ合いさんと一緒に駆けつけてくださっていました。お会いできるかもしれないとひそかに?期待していましたが、やっぱり来てくださいました。多くの場所で、志を同じくする人たちと出会わせていただいています。どんなに打たれてもそれを跳ね返してきた狭山の闘いの原動力は「えん罪は許せない、差別は許せない、平和でなくては人権は守れない」と、社会正義の実現に向けて立ち上がり、闘い続けてきた一人ひとりの力が結集したからだとの思いを強くしました。


 11月6日、1年半ぶりに友人が訪ねてきました。と言っても30日の狭山現地集会にはお会いしていたんですが・・・車で10分ほどの智光山公園に行きました。私が好きな場所の一つです。広い池に一杯の水鳥や、鯉が悠々と泳いでいました。通りすがりの畑にはコスモスが咲き乱れていました。友人のおかげで私たちもすっかり自然を満喫でき、気力も充電できた1日となりました。


 11月7日、ふるさと徳島の友人から「自分の家にたくさん生ったので」と、柿とスダチを送ってくださいました。友人は以前同じ職場で狭山闘争や組合運動を一緒に闘ってきた同志です。彼は管理職になっても、定年で退職しても、狭山に関わり続けてくださっています。徳島は毎月23デーのビラまきを続けていますが、用がないかぎり、今も参加し続けてくださっています。人としての生き方を彼から多く学びました。『人間が好き』そのように思えるのも彼のような人に出会わせて頂いているからです。両親の墓前にも柿を持って行き、此の間の狭山の闘いの報告と、石川一雄を見守ってくださいとお祈りしてきました。


 11月8日、夕方帰ってくると絵手紙が届いていました。兵庫県のOさんからです。いつも身近な草花や、果物、野菜などが書かれていて、とっても素敵な絵手紙なのです。今から5年ほど前、宗教者の皆さんが現調に来てくださったのですが、そのときOさんと出会いました。少し前、彼女に葉書を出したのですが、「12日、兵庫県に行きます」とだけしか書いてなかったのです。彼女は私たちが忙しいと思い連絡を控えていたそうです。絵と一緒に「気がつけば 秋 お元気ですか」と書かれています。宛名を書くほうには11月12日兵庫県で集会があると伺いましたがお目にかかれるのを楽しみにしているのに、どこで集会があるのかわかりません。誰かに聞いてみます」と書かれていました。夕方でしたが、お電話をしてみると、とっても若々しいお声のOさんが出られました。今年70歳になられたと伺い驚きました。12日の集会の場所や、時間は他の人に聞いて、すでにご存知でしたが、いつも狭山や、私たちのことを気にかけかけてくださっています。素敵な出会いを一杯頂いています。


 2005年11月12日〜13日、部落解放研究第26回兵庫県集会が、尼崎総合文化センター等で開かれます
12日は午前10時開会です。午前中「狭山第三次再審闘争に向けて」の特別報告、午後から第2分科会「えん罪事件と司法の民主化」と言うテーマでパネラーとして出席をします。

 11月17日、第25回部落解放埼玉県研究集会が、深谷市民文化会館で開かれます。9:30分開会。午後から「狭山事件の真相と再審闘争」<13:00〜16:30>の分科会に出席します。