今日、2006年4月2日、石川一雄の仮出獄に対しての遵守事項である保護司さんへ面接(近況報告)に行きました。帰り道、稲荷山公園の満開の桜の花の美しさに魅せられて、めずらしく寄り道をしました。空いっぱいに広がって咲き誇るピンクの花びらに魅了されました。日曜日ということもあってか、たくさんの人でにぎわっていましたが、すぐ裏道に入ると人通りは少なく、カタクリの花(ユリ科)が一杯咲いていました。自生していることにまた驚きました。

稲荷山公園の満開の桜 稲荷山公園の外に出るとカタクリの花が

 狭山事件再審弁護団会議が3月21日、中央本部で開かれました。その中で解放同盟・組坂中央本部委員長が3月、ジュネーブの国連の会議で国連人権高等弁務官と会い、証拠開示に向けた要請行動を行ったと報告いただきました。国の内外から狭山の闘いが・・・狭山の風が大きく吹きますように・・・・・


 「青森県住民の会」のNさんからお電話をいただきました。4月3日に開かれる「全国狭山活動者会議・住民の会交流会」に来られるとのこと、うれしく思いました。青森県住民の会の活動にはよく驚かされます。これまで組織の中で行動してきた私にとって、とても新鮮で柔軟で行動的な青森住民の会の皆さんの活動は私にとって『想定外』というようなことが多いのですが、でもしっかりと着実に根をおろし実を結んでいます。東北の地だけでなく、狭山の大きな風を吹かせてくださっている原動力にもなってくださっています。


 4月1日、「鳥取住民の会」Sさんからメールを頂きました。2月25日〜27日三重県で開催された日教組全国教研に行ったそうです。「狭山バッチをつけて4人の住民の会メンバーと『人権教育の分科会』に行くと、他にも埼玉からの参加者だけでなく数名の胸に狭山バッジが輝いていました。熊本からの参加者は、熊本住民の会の機関紙『響』を配っていました。鳥取もやらなければと意を強くして帰りました。鳥取の解放研部員は『狭山をきちんと知り、考えていくことは、自分のありようを問うことだとおもうし、もっともっとこだわって生きたい、法学部に入って弁護士になり、狭山弁護団に入れてもらう。でもそれまでに再審開始になっているほうがもっといい』と言っていました。4月21日兵庫県浜坂町の狭山市民集会にはぜひ参加したい。再会を楽しみにしています」と書かれてありました。何年か前の全国青年集会で、東京の青年と出会いました。彼は「私は鳥取県出身です。今の私があるのはS先生との出会いがあったからです」と話されましたが、頑張りすぎているようなSさんに「兵庫県の集会は、午後7時から午後9時までなので、遠いから無理をしないで。その分いっぱい力を蓄えてほしい」と返事を書きました。


 友人からお手紙を頂きました。
昨年の5月24日東京で狭山集会がありましたが、彼女にとって20年目の「5・23」だったそうです。1985年大学1年生だったTさんは「自分の人生が大きく変わっていく予感」をしながら、ずいぶん悩んで集会に参加したそうです。高校3年生の時文化祭の解放研の狭山の展示と『差別が奪った青春』を読み、狭山事件のことは少しは知っていたそうです。「こんなことがあるのか。おかしい」と思っても行動するまでにはいたらなかったそうです。これを越えるきっかけになった大きな一つは『沈黙は虐殺のパートナー』と書かれていた一枚のポスターだったそうです。「5・23集会に参加した直後特別抗告が棄却され、私一人の存在などちっぽけなものとわかていながら、私なりの精一杯の決意が現実を変える力に何一つなりえないことがショックでした。そして抗議集会に参加しました。スクラムを組む仲間の存在、目の前に要塞のように立ちそびえる最高裁。自分の立つ位置が見えたような気がしました。それから20年。うれしいこともつらいことも、後悔も喜びも、いろんなことがあったけれども1985年5・23に戻るたび、あの決断は間違っていなかった、といつも思いました。たくさんの素敵な出会いもありました。そうして今の私があります。だからこの日は私の出発点なのです。20年目の5・23、休みを取り、「自腹」で参加しました。「そうだよね。これが本当の参加だよね」と、とても気持ちがよかったです。10・31もそのように参加させていただきました」と書かれていました。また「えん罪が晴れて、無心に空の雲を眺める時が石川さんに来ますようにという願いを込めて、そして、今の生活の中で、ふと雲を見上げながらのんびりと過ごす時間が、ほんの少しでもありますように」と素敵なイラストを送ってくださいました。いつも静かで恥じらいを含んだようなシャイな彼女の笑顔の中にある芯の通った強さの原点、彼女の心が伝わってくるようなお手紙でした。私自身は彼女のように深く考えたことはありませんでしたが、でも、手紙の中身は私と重なりました。また『うれしいこともつらいことも、後悔も喜びも、いろんなことがあったけれども1985年5・23に戻るたび、あの決断は間違っていなかった、といつも思いました。たくさんの素敵な出会いもありました。そうして今の私があります』という箇所は現在の私の心境でもありました。長い長いお手紙でした。お手紙は私の宝物です。


 先日、埼玉県の高校生と一緒に現調をしてくださった保護者の方からお手紙を頂きました。高校生の時、社会科の時間に聞いた「部落」ということを知りたく思い、学校の近くにあった解放の父といわれた「松本冶一郎」先生のお宅におじゃまし、お話を伺ったそうです。「石川さんにお会いした時、そのやさしい眼に打たれました。冤罪という濡れた服を着て、暗い獄中で、腹の中からわき興ってくる死の恐怖を払い除けながら長い長い夜を過ごされた石川さんの眼はやさしかった。小生のこぶしは小さいですが、協力させてください」等書かれ、「『支援の会』のような組織がありましたら、ご紹介下さい」と結ばれていました。私も石川と出会ったとき、同じことを感じたのです。
 石川もたくさんの優しい心、眼に出会ったからこそ、信念を貫き、元気に闘えることが出来たのだと思います。


 福岡県のNさんから「狭山分科会でとても良い学習ができ、第三次に向けて全員で力を出してがんばっていきます。来年の全女は福岡県です。私もがんばります」というお便りと、手作りの赤飯等送ってくださいました。おいしかったです。


 「全女、狭山分科会で元気が出ました。これからも狭山を心の糧として自分の解放運動をしていきます。狭山によって自覚させていただいた運動、石川一雄さんの無実を勝ち取ることを信念として、こつこつ葉書を出しています」滋賀県のFさんからのお便りでした。


 福岡のKさんより、全国女性集会1日目の全体集会で、支援の訴えをさせていただいている時の私たちのイラストを書いて送ってくださいました。現地事務所に貼らせていただきました。「来年は福岡で全女が開催されます。今年は『識字分科会』で報告をしましたが、来年は出来れば『狭山の分科会』で報告をさせていただきたいと思っています」とメールをいただきました。


 「ずっとホームページが更新されていないので心配していました。4月23日支部から中型バスで現調に行きます。できるだけたくさんの人に声をかけて狭山に向かいたいと思います」東京のKさんから東京部落解放研究所発行の「すいへい・東京」を送っていただきました。「インド人権スタディツアー」に参加した彼女の報告が載っていました。とても厳しい中身であるにもかかわらず、出会いや、経験を楽しんでいる彼女の自由な発想、前向きな生き方等が感じられ、読むものをひきつけます。彼女に学びたいと思います。そして、今生きていること、多くの出会いをさせていただいていることなどに感謝してこれからもがんばろうと思いました。


 狭山の闘いはたくさんの人たちによって支えられています。