正義が断罪される社会の中にあって、なお且つ法を信じ、43年以上も不屈に闘っている石川一雄にエールを送り続けて下さっている全ての支援者各位に心から深く感謝の一文をお届けいたします。
私は途轍もない長い年月、獄中での勉強を通して一えん罪者として法律の中で「自由心証主義」なる条文の危険性に何度自問自答したかわかりません。言及するまでもなく、狭山事件は、多くの疑問が存在しており、、従って現今までの「判決・判断」などに予断を抱くことなく、第三次再審請求申し立てを虚心に、そして真摯に精査、探究するならば、最早、寺尾確定判決の「主軸」といわれている「脅迫状」など総て崩壊している以上、机上論的なまやかしは、断じて許される筈がないし、今度こそ、全支援者たちが納得出来る「事実調べをする」という声が裁判長から聞かれるものと確信しつつ、連日訴え活動に精を出している訳であります。私自身は今までの各裁判官たちが、主観的な心証を客観的な証拠の上におくという態度こそ「予断」がその根本にあると思えてならないので、「自由心証主義」の欠陥を指摘したわけです。特に本審を「最後」と位置づけて踏み出したからには、本当に、この第三次再審で「終結」にしたいものでありますし、とりわけ、心強い味方は科学の進歩であります。確かに狭山闘争は、何度も敗退を余儀なくされている現実を見れば先行きの不透明は否めないまでも、前述のように、その様な厳しい闘いの中で、弁護団の血の滲むような努力と科学の力に依って私の無実性が証明されたのも事実です。それが、元栃木県警の齋藤氏、元大阪府警の奥田鑑定人ら三名の元鑑識課員による鑑定であるわけです。然しながら、最高裁はそれらの科学の本質も機能も理解しようとせず、暴論の棄却攻撃に打って出てきたからこそ、一層心を引き締めなければならないと自分を戒めているんですが、戦前なら兎も角、現行法では、不利益再審の廃止と共に「再審の理念、無辜の救済」の観点からも本審も第三次再審請求審では、絶対に法廷闘争に持ち込む必要があるんです。元より全国の兄弟姉妹たちは、「石川命はわが命」として常に先頭に立って闘って下さっておりますし、他方、労働者、宗教者、住民の会、学生、及び一般大衆の方々も「公正な裁判」を求めて闘う中で、先般下した司法に対して不信感と糾弾闘争にご協力下さっていることもよく存じており、何時も感謝の念で一杯ですが、狭山闘争の「差別裁判糾弾」の闘いが発展しつつあることに恐怖したが故に、司法の府として、あるまじき不当極まる棄却に出たのでありました。しかし、権力がどのような装飾をもって「確定判決」を「擁護・維持」しようとも真実を闇に葬ることはできません。いえ、むしろ火に油を注いだ如く、怒りの追撃はますます強くなり、国家・司法権力が力で正義を切ろうとして打ち下した力をそのまま権力に返さなければならないと、私もとことん闘い抜く所存であります。部落民の私を犯人にデッチあげた張本人を断罪をもって私への謝罪と考えております。どうかこの三次こそ私の身に光が当たりますよう更なるお力添えを賜りたく再度心からお願い申し上げて、私の感謝の言葉と決意のご挨拶に代えます。ありがとうございました。

2006年10月31日          

石川 一雄

 1974年10月31日、東京高裁・寺尾裁判長が「無期懲役」という判決を下してから32年が過ぎました。事件発生から43年ですが、その間石川一雄は無実を叫び続け、今も裁判のやり直しを求めて訴え続けています。2006年5月23日、石川一雄は第3次の再審請求を東京高裁に申し立てました。狭山事件には多くの証拠が検察庁に隠されたままです。この古くて新しい証拠を出してほしいと私たちは訴えています。狭山事件は公平で公正な裁判が行われていません。どうか狭山事件に関心を寄せていただきたいのです。今狭山事件の再審を求める署名活動が行われています。二度とえん罪がおこらないように、二度と石川一雄が出ないように、署名という形で裁判所に声を届けていただきたいのです。皆様方のご協力を心からお願いいたします。 石川 早智子