

2006年12月17日、狭山弁護団会議が開かれました。
冒頭、部落解放同盟・組坂委員長・松岡書記長から「狭山の勝利なくして部落の完全解放はない。狭山の闘いに全力で取り組む、現在63万筆の署名(狭山事件の公正な裁判ー事実調べ、再審開始を求める署名)が集まっている。2007年3月に署名を提出したい。最終提出は5月だが、3月を目処に集めることを目指している。」と挨拶を頂きました。
中山主任弁護人より、「なんとしても事実調べをかちとる、腰を据えて闘う」との挨拶の後、三次で勝つために、深い熱い議論がなされました。
江森陽弘さんよりお便りを戴きました。「映画『それでもぼくはやっていない』をみました。石川さんを思いながらみました。元気でがんばりましょう」と書かれていました。江森さんは朝日新聞の記者だったころ、狭山事件が起こり、狭山に取材にこられたこともあるそうです。石川逮捕の時から「えん罪」でないかとの思いを持ったそうですが、今もえん罪を訴え闘い続けている石川に心を寄せてくださり、さまざまな機会を通じて「狭山事件の石川さんはえん罪」とお話くださっているそうです。お忙しい中、狭山の中央集会に出てくださったときも、デモ行進の最後まで一緒に歩き続けてくださいました。
12月15日、愛媛県のAさんから「署名の追加分です」と2度目のお手紙と署名が届きました。とってもうれしかったです。一人の力も結集すれば司法を変える大きな力になるとの思いを強くします。
12月14日、部落解放同盟埼玉県連から解放新聞の取材がありました。「結婚して12月21日で10年だが、振り返ってみて、どんな10年でしたか?」との質問に石川は「うれしいときも悲しいときも一緒に笑い、涙を流し、いろんなことに一喜一憂した10年。32年間の獄中生活の後社会に出、浦島太郎だった私だが、二人でいたから乗り越えられた」と答えてくれたとき、胸が熱くなりました。仮出獄で出て12年、ほんとにいろんなことがあったと思います。この間、石川は不器用に精一杯生き、闘ってきた、そう思います。
12月9日、石川は解放共闘佐賀県民会議の総会に出席させていただきました。15日、佐賀住民の会代表のOさんからお手紙と佐賀新聞(12月10日付)を送ってくださいました。
