
「今年こそ」の思いを強く新しい年を迎えました。
今年は事件発生から45年となります。なんとしても事実調べ、証拠開示の実現をさせるとの決意で闘いを続けています。69歳になった石川は凍りついた司法の扉の前で焦りと怒りを隠せないでいますが、しかし、今年も解放子ども会、識字教室で学ぶ人たち、各地で出合わせて頂いた多くの方から年賀状を頂き、その年賀状のほとんどに「狭山」の文字が躍っていることに力を頂いたようです。ありがとうございました。

今年はじめにー「荊冠の志操」西岡智が語る部落解放運動私記ー(柘植書房新社発行)が贈られてきました。帯には「狭山」の西岡が語るーピンチはチャンスーと書かれていました。ページを開くと「『狭山』の完全勝利なくして部落の解放なし 信頼する無二の友」と西岡さんの力強い文字が・・・2月17日の「荊冠の志操」出版記念会に石川は出席することができません。同じ日に福岡県で狭山集会が開かれ、そちらに出席するためです。狭山闘争の中心になって闘い続けてくださった西岡さんはきっと「狭山の集会がんばれ」と喜んでくださると思っています。狭山の闘いを燎原の火のように大きく燃え上がらせ、部落の解放、人間解放を熱い志で貫き通す、その変わらない生き方は、多くの活動家を育ててきました。また、被差別部落で生まれたということを隠して生きていた私にとって「狭山」に出会い、石川に出会い、西岡さんに出会ったことで、その生き方を変えることができたように思います。「荊冠の志操」、狭山闘争の項、最後に「全国水平社宣言に『兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しい人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引き裂かれ、そこへくだらない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪われの夜の悪夢のうちにも、なお誇りうる人間の血は涸れずにあった。・・・(中略)・・・吾々がエタである事を誇りうる時がきたのだ」とある。この思想は、被差別部落民のアイデンティティの形成の核となるだけでなく、部落へのマイナスイメージをプラスイメージに変え、理不尽な差別への痛みと憤りを共有する民衆の視点でもあるし、『狭山』思想でもあるんだ。」と結ばれています。
魂が清清しくなるような気持ちがしました。多く方に読んで頂きたいと思いました。
今年もまた、各地で集会、学習会等が予定されています。闘いの中で多くの皆さんと元気に出会えますように・・・・・
2008年1月19日