
大切な友人がいます。今闘病中です。彼女とは約束をしています。石川がパスポートをとって大空を飛ぶことです。きっと実現します。一日も早く元気になって下さい。一緒に自由に大空に羽ばたきたいです。
2008年6月29日、お便りを頂きました。「朝顔が次々に芽を出して伸びています。お二人の花が咲くことをねがいつつ、水をかけてお話をしていま〜す!カトリック新聞に載りましたよ!お届けします」と書かれ、2008年6月22日発行のカトリック新聞が同封されていました。5月31日、東京教区部落問題委員会主催の「現地学習バスツアー・初めて学ぶ狭山事件」で狭山に来てくださったT・Kさんが送ってくださったのです。
2008年6月、メールが届きました。ある会の会長さんが挨拶をされるとき、その胸に狭山バッジが光っていたというもので、その写真と記事を送ってくださったのです。
大きくカラー写真入りで狭山現調の様子を取り上げて下さったカトリック新聞、そして総会で狭山バッジをつけて挨拶をしてくださった会長さん、狭山をもっともっと多くの人に知っていただきたいと願っている私たちにとって本当にうれしいものでしたが、もっとうれしく、感動したことは、新聞に載ったこと、バッジが光っていてうれしいと知らせてくださった彼女たちの心でした。狭山は一人ひとりの正義や、真実を追究する姿勢と、闘いの中で心通わすぬくもりがあるからこそ、闘い続けられているのだと、いつも実感させられています。
2008年6月9日〜11日、第10回部落解放全国会議が岡山県で開かれました。会議の記念講演と分科会で石川の話を聴いていただきました。その会議の資料集(報告)が6月下旬に送られてきましたが、その中に、参加された方たちの自己紹介の記事が載っていました。九州のIさんは「大学生の時、東村山に住んでいたが、その時狭山事件がおこった。事件はでっち上げだと私たち素人でもそのように思い、話していた。今狭山市民集会等に参加している」また、岡山のMさんは「数年前狭山現調に参加し、事件の矛盾点、石川さんの話を聞き、無実を確信して帰った。『仮釈放』という見えない鎖につながれているのでなく、『無実』という真の自由を取り戻すために、私も祈りと歩みを共にしたいと思います」と書かれていました。
2008年6月、東京のTさんより分厚いお手紙が届きました。中には122筆の狭山事件の事実調べ・再審開始を求める署名が入っていました。Tさんは5月5日に狭山現調に来てくださったとき、署名用紙を1枚持って帰られたのです。それを印刷して多くの友人たちに署名用紙を送ってくださったのです。Tさんには以前にも沢山署名を送っていただき、今回2度目でした。ほんとうにうれしかったです。Tさんありがとうございました。
2008年6月、急用で徳島に帰りました。部落解放徳島青年共闘会議が毎月23日に狭山情宣活動をされていますが、ちょうどその日徳島にいましたので、徳島駅前の狭山情宣行動に出ることができました。徳島でも23デー情宣行動は30年近く続いていると思います。私も1回目から参加していましたが、久しぶりの徳島でのビラまきに、初めて徳島駅前で「狭山ゼッケン」をつけてビラまきをしたことが思い出されました。そのときからずっとビラをまき続けてくださっている闘う仲間がいます。この日は労働組合が中心でしたが、私が以前働いていた職場の人が大勢参加してくださっていたこと、そしてその職場を定年退職され、今は住民の会で活動を続けてくださっているFさんの姿をビラまきの中で見たとき、熱いものがこみ上げてきました。その揺るがない信念と闘いに、私も学びます。
![]() |
![]() |
6月19日、悲しい知らせが届きました。「巨星落つ・・・」とのメールが・・・
彼から頂くお便りにはいつも「ともに」との言葉がありました。
それなのに・・・何故・・・残念で悲しくてしかたありませんが、
精一杯生き、闘った彼のご冥福をお祈りして
合掌
うれしいことも悲しいことも苦しいことも多くあった6月も終わりました。
一月ひとつき過ぎていくこの時間がたまらなく無念で・・・
苦しく・・・切なく・・・思います。