2014年1月13日、兵庫県民会館 県民ホールで、映画「SAYAMA」制作委員会主催で「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」の上映会があった。第1回目は14時40分、2回目は18時10分からの上映。3連休の最後の日、皆さんが会場に足を運んで下さるか、とても心配したけれど、開場の14時にはすでにたくさんの人の列。狭山の裁判も大詰めを迎えている時だけに、多くの人が関心を持ち足を運んでくださっていることに力を頂く。宗教者の方や、長く支援して下さっている方、そして、新聞等で知って来て下さったかたも。
 「石川さん明日は75歳の誕生日、1日早いけどお誕生日おめでとう」とネクタイをプレゼントされた。「父と石川さんは同じ年、兵庫県で狭山事件が起きていたら私の父が石川さんになっていたかもしれない。私の父も当時の石川さんと同じ文字をしらない、石川さんは私の父です。父に選んでもらったネクタイです。」と言ってプレゼントされたネクタイはとてもステキで、高価なものだった。驚くと彼女は「父には買ったことがないブランドだけど、父は喜んで選んでくれた」の言葉に私たちは涙・・・・・もう一つのネクタイは「晴れの日の為に!『金星』ネクタイを!お誕生日おめでとうございます」と書かれた箱に入っていた金色のネクタイ。きっと晴れの日にこのネクタイを!との思いを強くする。そしてそのためにもっともっと頑張るぞとの思いで力が湧いてくる。久しぶりに会えた人、徳島から出てきてくれた人、滋賀や、大阪からも観に来て下さった。最後の金監督の挨拶・・・・・ほんと優しい・・・・
 

   
金監督の笑顔が素敵なのです  晴れの日のために 

 徳島からは姉と姪の子どもも来てくれた。姉が「この映画を観るのは今日で2回目だけど、1回目よりまた2回目の方がよかった。いろんな思いが伝わってくる」と言ってくれた。姪の子どもSAKURAは、映画の感想を書いて見せてくれた。それには「登山のシーンは特に心に残りました。早智子さんの『一雄さんが美味しい事や、楽しい事が一回でもあればいいよね』では二人とも望んでいるのはとても些細なことなのに冤罪はそれすらも奪ってしまうのかと痛感させられたと同時に、一雄さんへの<愛がもの凄く伝わってきました。監督さんやスタッフの皆さんに感謝します。映画を作ってくれてありがとうございます」(一部抜粋)と書かれていた。17歳になったSAKURAの優しさと感受性にまた涙。

 同日、二回目の上映時にも大きな感動があった。受付でいると、一人の女性が私たちをじっと見つめていた。その眼には涙が。彼女は「今日、映画の上映を知って、石川一雄さんから頂いた37年前の手紙を持って淡路島からきました。。私がまだ16歳の高校生の時石川さんに手紙を書きました。石川さんからお返事が来たのです。私はそれ以来、手紙を宝物、支えとしてずっと持っていました。苦しいときや、悲しいときは石川さんからの手紙を見て乗り越えてくることができました。手紙を封筒に入れたままだと折ったところが皺になり読みにくくなるので、ファイルに入れてまっすぐにしていました」と。本当に驚きました。

   
「死力を尽くして文字を覚え、手紙を綴ってきたことが
決して無駄でなかったと知る思いは今の私にとって
他に代えることのできない喜びであります」
「東京都葛飾区小菅」
(東京拘置所)
から出した手紙

 37年間も大事に持っていてくれた手紙。折り皺のない手紙の下には桜の紋?の中に東の文字、住所は「東京都葛飾区小菅1丁目35番1号」で、1977年4月1日付になっていました。正に37年前、東京拘置所から出した手紙でした。小さい小さい拡大しなければ読めないような字でした。便箋が7枚迄という制限があり、その中で伝えたい事がいっぱいあったのでしょう。必然として文字が小さくなったんだろうなと思いますが、そのことを知らなければ、思いやりがないな〜と思える小さすぎる文字で、びっしり書かれていました。最後に書かれていたのは「東京拘置所在監十四年」の文字でした。あれから37年・・・・・・今も石川の両手にはみえない手錠がかかっています。それでも、石川一雄の闘いや手紙が、16歳の多感な少女の生きる支えに少しでもなったとしたら、また、私自身もそうであったように、多くの人になんらかの影響を与えたとしたら、石川の32年間の獄中生活、51年の冤罪を晴らす闘いは、決して無駄なものでなく、輝きのある人生ではなかったか・・・・・そう思いながらも、やはり、51年の闘いの歳月を思うとき、一刻も早く彼の両肩にのしかかっている「殺人犯」のレッテルをはがしたいと心から願う。
 大阪や、東京、兵庫県での上映会には多くのボランティアの皆さんが駆け付けて下さっています。本当にありがとうございました。