上記は、2018年7月29日、奈良県の「獄友」上映会で詠んだ歌です。
台風が心配された上映会でした。「部落解放同盟奈良県連合会」「特定非営利活動法人市民ひろばなら小草」の主催で、奈良県人権センターで開かれた「狭山事件の再審にむけた映画『獄友』上映会、「悪天候だったにも関わらず、多くの人が来て下さった」と石川が報告してくれました。ありがとうございました。

 8月10日、恒例の「徳島夏の交流学習会」が開かれた。
今回は特に心に残る会だった。

 
狭山事件を考える徳島の会・三橋事務局長 いつも参加して下さる臼木徳島県議

1976年、私の職場(労働組合)に部落問題研究会が結成されたが、当時、部落解放同盟徳島県連にSさん、Yさん、がいた。そして大学生だったHさんも。振り返れば、徳島県国保労組部落研はこの3人に牽引され、多くの事を学び、感じとり、進んでいったように思う。40年位前にHさんが学習資料として「狭山事件」の資料を作成、私たちはそれをもとに学習会を続けていたが、その資料を今も私は持っている。現在はそのころに比べれば、多くの新証拠が出ているが、それでも、今読んでも色褪せない「狭山事件」の資料。
 Yさんとのことで一番印象に残っているのは、1980年2月5日再審が棄却された日、急遽狭山差別裁判糾弾集会が開かれ、狭山担当だった彼が、解放会館を出発するデモの先頭で「差別糾弾!石川奪還!」を叫んでいた。悔し涙をポロポロ流しながら。私も涙で前がかすんでいた。
 Sさんとは一番深く関わっていたように思う。職場や、労働組合運動の中で、私自身の弱さを攻めもせず、いつもサポートしてくれた。彼の誕生日は8月9日だった。この日は1977年8月9日、最高裁で上告が棄却された日であり、彼はこの日、何時も東京の狭山集会に参加していたそうだ。「自分の誕生日を祝うのは石川さんの冤罪が晴れてから」といつも言っていた。2001年9月、Sさんが46歳の若さで亡くなられた。あれから17年。8月10日の交流会で驚いた。私が彼と出会ったころのSさんが目の前にいた。Sさんの子どもさんだった。彼は今Sさんの進んだ道を歩いていた。来てくれて会えてうれしかった。じっと石川を見つめ、石川の話を聞いている彼の真摯なまなざしに、胸が熱くなった。私が部落解放運動に出会い、狭山に出会ったころ、生きる力が湧いてきた。その時の感情が沸き起こった。
 忙しい中を「阿波木偶箱まわし保存会」の皆さんや多くの人が来て下さった。
私が狭山や、部落解放運動に出会った職場の労働組合や、以前の仲間たちも大勢来てくれた。今は管理職になったり、役員になったりしている人の参加は特にうれしい。肩書や、立場でなく、一人の人間として志を貫いている。このことは簡単そうで難しい事だと思う。殆どの人は労働組合を脱退したり、管理職になったり、定年退職するとそのまま離れる人が多いように思う。今労働組合運動の中心を担っているAさんが「職場に入り、労働組合員になってすぐ、部落解放狭山青年共闘で狭山23デーのビラ作成を担当する一人になった。当時労働組合運動は賃上げ闘争とか、労働条件改善闘争が中心だったが、毎月1回、部落解放同盟・徳島県連に行って、狭山情宣ビラを作成する日は楽しかった。解放同盟、労働組合から人が集まり、ワイワイに言いながら作業をした。ビラ作成が終わったら、解放同盟の人から、これまでの闘いの苦しかったことや、楽しかったことなど、いろいろな話を聞いた。賃上げも大事だが、人間の尊厳に関わる闘いは心に強く響き、毎月1回のこの日が待ちどおしかった。この経験が今も自分の闘いの根本にある」と話された。彼が就職をして、3年くらいして、私が狭山に行くために仕事を辞めたり、年齢も離れ、物静かなAさんとは、これまであまり話をしなかった。今回初めてゆっくり顔を見て話をしたように思う。彼がこのように考え、行動していたことを初めて知った。そういえば、彼はこれまで20年以上、8月の徳島での交流学習会や、2月の狭山の会総会に一回も欠かすことなく参加してくれていた。
すてきな人たちに出会えたことはこの上ない幸せだ。

 8月11日、さいたま女性部の邦子さんから「大宮支部女性部で人権フェスに展示する作品を制作しています。今回は一雄さんの獄中短歌を学び、一雄さんの悔しさや怒りを自分たちに重ねています。ところで一雄さんの短歌をつくるきっかけはなんですか?」とのメールが届いた。石川は「以前私が東京拘置所にいた時、東京で短歌の先生をしていた人が死刑囚としていました。私が勉強中であり、無実を訴えていることを知り、「言葉は短くても人に伝えられるのが短歌。人はいつか死ぬが、歌は何時までも残る。石川さんも歌で皆さんに思いを伝えたら」と私に短歌の作り方を教えて下さいました。残念ながらその先生は教えて頂き初めて2年後に「死刑執行」されましたが非常に静かで優しい人でした」とメールをお送りしました。

 8月9日 狭山現地事務所のブドウと小さなスイカ