2019年1月14日に

戦い続けてきた狭山差別裁判闘争も56年目に突入した。1964年3月11日、第1審浦和地裁での死刑判決から55年、1974年第2審、東京高裁・寺尾裁判長による無期懲役の有罪判決から45年、1994年12月、31年7か月ぶりに仮出獄をしてから25年。
現実には冤罪が晴れず、苦渋をなめ続けてきた年月ではあったが、反面、その間、文字を取り戻し、多くの出会い、感動を頂き、心が豊かになったといえる年月でもあった。
千葉刑務所にいた頃、毎月1回、誕生月の人を11時半頃に集めて「お誕生日おめでとう」と、一口のケーキが出され、またその日は受刑者全員にケーキが配られたそうだ。だから1年に12回ショートケーキが食べられ、お正月にはおせち料理が出て、クリスマスにはチキンも出たという。
石川は当時、糖尿病だったこともあり、ケーキは食べなかったが、受刑者はとても楽しみにしていたそうだ。誕生月の受刑者の前には一本の花が飾られたという。
このころは毎週土曜日、カップ一杯(200㏄位)のコーヒーとパン一個が夕食の他に出されていたそうで、コーヒーがおいしかったそうだ。拘置所時代にはそのようなことはなかったそうだ。
誕生月のお祝いの日、誕生月の人は、12時から13時までの間は、コーヒーをいくら飲んでもよかったそうで、ある年の1月の誕生会の日、石川はコーヒーを10杯以上飲んだそうだ。誕生会が終わると、童謡の「ふるさと」を全員で歌った(歌わされた)そうだ。~うさぎおいしかの山~
誕生会が終わり、13時に工場に帰ると看守から「石川さんはコーヒーをたくさん飲んだそうなので許可を取らなくてもトイレに行っていいから」と言われたという。
まるでつい先日のことのように話してくれた。

 2019年1月14日、石川は80歳を迎えた。今年は、結婚して22年目にして初めてケーキを買った。
1月に入り、私の故郷、徳島に来てすぐ風邪をひき、一週間以上寝込んでいた石川に、「元気でこれまで頑張ってきたね」との思いを伝えたかった。

 40年来の徳島の友人と

 食べないと思っていたケーキを石川は食べ「おいしい」と言ったときは驚いた。生まれて初めて食べたケーキだった。彼は、これまで多くのものを食べなかった。すべては裁判を見据え、元気で長生きをするために自分に課したことだ。それが本当にいいかどうかはわからないが、自分では「だから元気で闘い続けることができた」と、確信している。厳しすぎるほど厳しく自分を律した生活を続けられたのは、雪冤を晴らすとの強い意志と、支援者の存在があったからだろう。これからは自分自身に課したさまざまなものを解き放ち、ある程度、自由に生きてほしいと思う。

2019年、雪冤を晴らす勝負の年
ー傘寿を迎えてー