近 況

第90回中央メーデー  2019年4月27日

 代々木公園で10時から始まったメーデー。
天気も良く、労働者の祭典はにぎやかだった。
1886年5月1日、米国の労働者が8時間労働を求めてゼネストに立ち上がったのが起源だそうだ。
日本では1920年5月2日に第1回メーデーが東京・上野公園で開かれた。一時メーデーを開くことが禁止され、第2次世界大戦後メーデーは労働組合の復活と共に再び開かれたという。
私も徳島にいたころ、毎年メーデーに参加していた。
 
1963年のメーデーはどんなだっただろう。 1963年5月1日のメーデーの日、狭山事件が起きた。教育を十分に受けられなかった石川一雄の仕事は不安定で、組織労働者としてメーデーに参加することはなかった。
あれから56年。

 4月27日「県南 石川一雄さんを支援する会」の人たちが地元大宮の鐘塚公園のメーデーに参加し、狭山のビラ情宣を行った後、狭山現地調査に来て下さる。私の地元徳島でも、メーデーにはいつも狭山情宣行動を続けていた。全国各地のメーデーで狭山の闘いが続けられている。
私も代々木公園で、狭山署名行動をしていたが、「応援しています」とカンパを頂いたり、多くの署名を頂いた。感謝

 前日、歯の具合が悪く、顔の右半分が腫れている感じだったので、メーデーに行けるかなと心配したが、腫れも引き何とかメーデーに参加できホッ。


 4月25日、北綾瀬に行った。1か月ほど前落とし物をしていた。留守電に北綾瀬警察署に届けられていることがわかった。狭山から1時間半以上かかって北綾瀬駅に着いた。千葉県に近い所だった。どこで落としたのかいまだわからない。出てこないと思って届けていなかったのだが。拾って届けてくださった方ありがとうございました。


 4月25日大阪のBinさんからメール。
東京高裁、後藤裁判長に278枚目のはがき投函。宇宙人(Binさんのお連れ合いさんのことを私が勝手に宇宙人と呼んでいる)が闘病中だが、いつも逆に励まされている私たち。今日は27日だから今日で280枚目の投函。やがて1年、毎日、毎日後藤裁判長あてに投函し続けてくださっている。 ほかにも毎日投函してくださっている方も。


 4月24日、元朝日新聞記者のTさんが署名を送ってくださった。加須の狭山集会に来てくださった後、狭山まで取材に来てくださったのだ。その時署名用紙をもって帰ってくださっていた。同じ日、Tさんから署名を頼まれましたと、新潟のIさんからも署名が届いた。うれしいおたよりだった。
狭山事件の再審を実現しよう」(2019年4月19日8時39分)にTさんの書かれた記事が載っています。


 4月18日ごろからホームページの更新ができなくなるトラブルがあり、4月23日やっと直してもらった。


 
 日比谷公園のネモフィラ 

 4月22日三者協議。石川も私も耳が聞こえにくいので、ストレスが倍増する。
日比谷公園は、ハナミズキやネモフィラという青い花が咲き誇っていた。


 
4月20日 石川の歯の具合が悪く、紹介状をもって大学病院へ。5月にもう一度検査に。


近くの家の藤の花が満開だった。

いろいろなことがあった1か月だったように思う。

次回三者協議は9月

「真実は必ず明らかになる」
「真実は不変」との確信と希望をもって闘い続ける