中山武敏弁護士「人間に光あれ」出版記念会 2019年8月5日

 狭山弁護団主任弁護人の中山武敏弁護士の「人間に光あれ」出版記念会が大阪・道頓堀ホテルで開かれた。
多彩な呼びかけ人に、中山弁護士のこれまでの功績、生き方が現れている。
中山先生は被差別部落で生まれ、育ち、夜間高校、夜間大学を卒業し、司法試験を突破し弁護士になられた。狭山事件、東京大空襲など、あらゆる差別をなくし、人権を守るための様々な活動に最先頭でかかわってこられた。
この日、中山先生は挨拶の中で、「1972年、獄中の石川一雄さんから『自分は部落差別の結果教育を受けられなかった。そのことは恨まない。しかし、教育を受けられなかった者に対する国家の仕打ちの冷酷さ、それが許せない思いで残っている』との手紙をもらって狭山弁護団に入った。これが私の原点となった」と話された。それからずっと狭山裁判の中心となって闘い続けてこられた。先生が生涯をかけて闘われ続けてきた狭山裁判も今大きな光が見えている。石川は、「先生に花束を差し上げたい」と、花束贈呈をした。うれしそうな中山先生の表情に、石川もうれしそうだった。私たちも精いっぱいの闘いを続け、一日も早く「狭山のよき日」を喜び合いたい。


 8月6日は大阪・池田での狭山集会で14時に梅田で待ち合わせをしていた。その前に、どうしてもお会いしたい人がいた。豊中のBinさんとお連れ合いの宇宙人・ひろ子さん。12時に梅田で待ち合わせた。一緒に狭山の詩画を書いて下さったかよさんと、かよさんが作った狭山の詩(この声が 聞こえるか)に曲をつけギターで歌ってくださったSさんも来てくださった。石川は何年振りかで「イチゴのかき氷」をおいしそうに食べていた。子どものころお金がなくて食べたくても食べられなかったかき氷だ。ひろ子さんも何度も手術をしたり、リハビリを続けていたが、だいぶ元気になって安心した。ほんとに宇宙人だ。


 8月6日、大阪池田の狭山集会の前に、Nさんにお会いした。初めてお会いしたのは20年位前だろうか。彼女に会って驚いたのは1998年ごろNHK朝の連続ドラマで、徳島出身の立木義浩さんのお母さんをモデルにした 「なっちゃんの写真館」が放映されていたが、Nさんが、お母さんの立木香都子さん役の星野知子さんにとても良く似ていたことだった。体調を崩されている彼女にお会い出来たことがうれしかった。
 狭山のよき日を多くの人と共に喜び合いたい。そのためにも今を精いっぱい戦い抜く。