上記歌は1994年12月21日、仮出獄した日に詠んだ歌だ。あれから26年になる。

 6月に入り、43回目の三者協議もまもなくだ。この間、狭山の集会、現調等、延期、中止になったが、「狭山の闘いを止めない」と各地でそれぞれに狭山のとりくみがされてきた。みなさんの闘いにどんなにか力を頂いたことか。

 集会も現調もなく、しばらく空いた時間。
 これまで整理できなかった多くの資料やお手紙が、雨漏りで濡れてしまっていた。思い切って、処分することにした。その一つひとつを見ていると、すぐ何時間かが過ぎてしまう。ぬれてカビが出かかっているものもあった。
処分できたのは三分の一程度。もう一度見直して荷物を少なくしなければ、と思うこの頃である。

 5月23日を中心に、各地で狭山集会、狭山情宣行動や、坐りこみ行動がされた。それぞれに人通りは少なかったそうだが、各地からその報告を頂いた。

 6月に入り、1日に「狭山事件の再審を実現しよう 市民のつどいin関西実行委員会」から17筆の署名が届いた。代表の高橋さんから「関西キャラバンで上映会を開いてくれた茨木市の「サポートユニオン・ウイズユー」さんから署名が送られてきましたので、先日5月24日の神戸の座り込みの際に寄せられた署名と合わせて送らせて頂きます」「関西キャラバンで少しバテていましたが、ノジマさんWEB5・23をよびかけてくれたり、神戸の座り込みで仲間の皆さんと久しぶりに会ったりして元気を盛り返しました。やっぱり狭山再審!を訴えることが自分の一番の元気の素です」「自分にもできることを一つひとつやっていこう・・・・これが僕の狭山の原点です。原点に立ち返って,一雄さん、早智子さんと共に進んでいこうと思います(一部抜粋)」

 2日、ファクスが届いた。神奈川のマリアの宣教者フランスシスコ修道院・戸塚第一修道院のシスターMISAIさんからだった。「ようやく本会の『分かち合い』誌に載せる原稿が出来、本日提出することができて感謝!と書かれ、『狭山事件と私』と題した文章を送って下さった。彼女とは10年以上前、熊本・辛島公園での坐り込みの時に出会った。その後、神奈川に移られた彼女との交流は続き、5・23 10・31狭山中央集会や、神奈川県での狭山集会に、必ず来てくださっている。

 先日、「石川一雄さんを支える埼玉連絡会」会長の秦哲美さんの訃報に接したばかりの6月2日、長野のTさんからお電話でY子さんの訃報が知らされた。5月26日に旅立たれたそうだ。言葉も出なかった。いつもお二人で狭山中央集会や、長野で開かれる狭山集会に、仲良く一緒に来てくださった。闘病生活の中でも狭山集会は欠かすことなく、笑顔を見せてくださった。「5月22日の狭山中央集会には絶対行く」とTさんに話されていたそうだ。Tさんの静かな話ぶりの中に、精いっぱい看病をされたTさんの悲しみと寂しさがあった。
長すぎる狭山の闘い。こんなにも悔しく、悲しく、無念なことはない。
きっとよき日の報告に行きますと、誓う。 
 合掌

 6月1日、愛媛県のYさんからお手紙とタオル等送って頂いた。
最近、彼女に狭山のDVDを送っていたのだが、彼女から「DVDは以前送って頂いたので市役所の人権啓発室に寄贈しました。受付の人に狭山事件知っていますか?」と聞くと「・・・???」「少しお待ちください」と上司にかわると、狭山事件の事をご存じで「どうぞご利用ください」と渡しました」(一部抜粋)と書かれていた。彼女の行動力に驚く・・・・・

「狭山事件を考える青森県住民の会」は2003年に結成され17年になる。

代表の一戸伸衣さんは、この間狭山の短歌を詠み続けられている。

2003年

  浦島と歌を詠みたる仮出獄悔しきことのみ積もりし日々に  

2012年

   狭山裁判再審求めすり鉢のような野音につどう極月

  底冷えの石のベンチが段々に並ぶ野音に雨がこぼれる

2014年

  夜明け前走り込む君の息聞こゆ映画「SAYAMA」の冒頭シーンは


2018年

  ごつごつのコブある駱駝が針の穴とおるより難し再審の門

  気丈さを強いられつづけなお力尽きぬ魔法を買いに行きたい

狭山現地事務所のアジサイの花が満開だ。(2020年6月4日)