10年目の3.11と57年目の3.11

 1964年3月11日、浦和地裁で半年間のスピード審理で石川に「死刑判決」が出された
3月11日が、狭山差別裁判の原点の日であり、3月11日を狭山差別裁判を糾弾する日として
部落解放同盟埼玉県連では毎年集会が開かれている

10年前(2011年)の3月11日
「死刑判決」が出された浦和地裁近くの会場に行く準備をしていた時、大きな揺れを感じた
電車で行く予定だったが、電車が止まったため急遽車で会場に向かった
車で走っていると、信号は止まり、地震の大きさを肌で感じ始めた
3.11集会は、会場に着いた少数の人たちと貫徹

しかし、その後津波、原発事故のニュース
権力者が、安全、安心、安価と推進してきた原発のウソ
アベソウリは、「福島第一原発はコントロールされている」とまた大ウソを言い
オリンピックを東京に招致

10年後(2021年)の2月13日午後11時8分ごろ
宮城、福島に震度6強の地震
2011年の東日本大震災の余震だそうだ
ニュースに宮城、福島の映像が流れた
多くの知人友人の顔が浮かぶ
コロナ禍の中で、二重苦、三重苦
地震大国日本に原発は絶対にいらないと強く思う

「コロナがどういう形であろうと必ずオリンピックをやる」といったモリさん
女性差別発言で退場
彼は最後の辞任挨拶まで何が差別か理解しなかった
しかし、モリさんは事なかれ主義の差別体質の組織委員会や政府自民党(だけではないが)の差別体質を浮き彫りにした

多くの人から「NO」の声が上がった
男女平等指数が153ヵ国中、日本は121位
そのことも改めて浮き彫りになった

声を出し続けていれば、少しずつでも動く。進む
諦めず「ダメなものはダメ」と声をあげ続けることが大事
原発も、オリンピックもいらない

被災されたみなさんの一日も早い復興と

狭山差別裁判の一日も早い再審開始を