
1997年7月の第1回から今回で9回目の江東地区集会が開催されました。私が狭山に居を移したのが1997年6月末でしたので、狭山に住んで初めての集会でなかったかと思います。そのとき、現在、江東支部の支部長をされているAさんが、集会後、狭山まで車で送ってくださいました。石川も私もまだ距離感がつかめていなかったので、簡単に乗せていただきましたが、狭山までとても遠かったので恐縮したことを記憶しています。一緒に送ってくださったのは、当時高校生だったSちゃんでした。それからずっと彼女との出会いがありました。今回、彼女から結婚をすること、そして彼を紹介されました。出会ってから8年の歳月が過ぎたことを思いました。
狭山の集会、現地調査にはいつも来て下さっているTちゃんの姿が見えなかったので、心配していました、決意表明を東京清掃労働組合、ふれあい江東ユニオン、NPO法人「共に結」から頂きましたが、その中で「いつも必ず狭山の集会に参加しているTちゃんが今日は体調を崩し来られなかった。Tちゃんは狭山の集会が一番好きで、表情がとても豊かになる。今度は一緒にきます」と話してくださいました。
1984年、部落解放江東共闘会議が結成され、20余年にわたり、毎月23日には、亀戸駅頭で共に、23デー狭山情宣活動を取り組んで来られた闘いの歴史は、厳しさも温かさも感じられました。
部落解放同盟中央本部のSさんより特別抗告棄却に対する批判と「新たに5人が狭山弁護団に加わった。第三次では事実調べと証拠開示をなんとしても勝ち取る。来春には第三次を申し立てる。新たな署名活動も再審申し立て直後から行う。時間をおかずに提出したい。この半年間をその準備期間として、意思統一し、仲間を増やしていただきたい」話されました。
石川は「第三次の次はない。第三次で勝利できるよう支援を」と訴えました。
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