2005年11月27日、高速道路を走ると、さまざまな形をした山の紅葉が鮮やかでした。狭山から2時間半ほどで、上小地区人権フェスティバルが開かれている会場に着きました。多くの人たちでにぎわっていました。野菜や、りんご、シクラメンの小鉢など、バザーも出されていてほとんど完売されたそうです。午前中は「橋のない川」の映画上映がされたとお伺いしました。
 午後からの狭山学習が始まる前に、上小地区協議会・深井計美さんや、「狭山事件を考える長野県連絡会」の藤原会長さんたちにお話を伺っていました。深井さんが「私の子どもが小学校5年生のとき、石川さんのご両親に会い、千羽鶴を贈ったときの写真があります。その子が今38歳です。こんなに長い闘いになるとは思ってもいませんでした。高裁での公判のとき、私は最前列で石川さんのお父さんや、お母さんの横に坐ったことがありました。石川さんはすぐそばに手が届くようなところにいて、ご両親が石川さんの顔をじっと覗き込むように見つめていたのが今も心に残っています。夜行列車や、夜行バスで日比谷に行きました。夜行列車で行ったときは日比谷の会場に行くのは早すぎるので、丸の内の改札口を出た駅の構内のコンクリートの上に用意してきた新聞紙を敷いてそのまま仮眠したこともあります。1974年の10月31日は無罪判決が出ると信じて疑わなかった。結果は無期懲役。あの日のことは絶対に忘れることができません」と話されました。当時のことを深井さんの著書「『冬来たりなば』生きてきた軌跡」のなかの「『部落解放への炎、燃ゆ』狭山差別裁判事件」の中に詳しく書かれています。私が知らない狭山の闘いが各地にあります。石川は「第三次を楽観はしていない、いつも緊張して過ごしている。今日を大事にしながら、明日を考えて闘っていこうと日々を過ごしている。真実は必ず明らかになる。その日が1日も早く来るように皆さんのさらなる支援をお願いしたい」と訴えました。
 会場には狭山リボンバッジも販売されていました。長野県内の3つの住民の会の皆さんも来てくださっていました。6年前に出会ったIさんや、結婚式の帰りに駆けつけてくださった方もいて、感動の1日でした。地元のとってもおいしいりんごや野菜等をおみやげに頂きました。闘いの中で一杯のぬくもりに出会います。