
狭山事件を知ろう!見よう!考えよう!市民集会 
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2006年2月23日、加古川市民会館で狭山市民集会が開かれました。思いもかけない出会いや、感動がありました。
集会が始まる前にOさん(5年ほどまえに狭山現調に来てくださっった)とHさんが遠い加古川まで駆けつけて来てくださったのです。Oさんは出会い以来ずっと季節の野の花や、野菜、私が好きなコスモスの花、桜の花などの絵手紙(いつの間にか何十枚もの)を送り続けて下さっています。Hさんは今回の兵庫県の狭山キャンペーンに呼応して地元で狭山学習会を開いてくださいました。呼びかけのチラシや、案内状も1日がかりで作ってくださったそうです。お手紙に石川さんと共に闘えることがうれしいと書かれていました。Oさん、Hさんと私の3人で久しぶりに話が弾みました。Oさんは阪神・淡路の震災で何もかも失い、大変なご苦労をされたにもかかわらず、「身の回りが軽くなった分、ボランティア活動に集中できるのよ」と毎日を楽しく忙しく過ごされているようです。お二人は石川と同じくらいの年齢ですが、とても若々しくお元気で、感謝の心を持ち続けている前向きな生き方はほんとうに素敵です。一杯おしゃべりをしてお互が元気でいることを喜び合いました。石川は愛知同宗連の人権講演会に出かけていたので遅れて加古川に着いたためほんの5分ほどしかお話は出来ませんでしたが、石川もお二人の笑顔に出会え楽しそうでした。
集会の会場でまた出会いをさせていただきました。1974年10月31日、無罪判決を信じていた石川に東京高裁、寺尾裁判長は「無期懲役」の判決を下しました。その前日の30日付けで、「無罪判決を確信」しているという電報を石川さんからもらったという橋元さんが会場で待っていてくださいました。仮出獄で写真は見られるようになったし、文通もしているが本人とは会っていない、一度会いたいとの橋元さんの気持ちを知って、県連の方が迎えにいってくださったそうです。温かい心、温かい運動に出会えました。
会場にはぞくぞくと人が集まってきます。一人の女性が「早智子さんですか?来てくれてありがとう。石川さんが元気でいてくれてうれしい、石川さんに奥さんがいてくれてうれしい。石川さんに会えてうれしい。石川さんの事頼みます。ありがとう」と私の手を握りしめポロッと涙をこぼされました。私も胸が一杯になりました。
昨年3月、最高裁による棄却決定で「私の無実を百も承知で、今までの裁判官たちは全て等しく自分の意志で権力犯罪に手を染めてきた」との石川の怒りや痛苦はなかなか癒えませんでしたが、毎日の闘いのなかで、元気を取り戻し、また新たな闘志を燃やしています。
石川は「第三次の再審で無罪を勝ち取りたい。今迄以上のご支援を下さればまさに私にとって百万力の力をいただける。えん罪が晴れたらあれもしたい、これもしたいと思うことが一杯ある」と支援のお願いをして冒頭の歌を詠みました。
会場から1人の女性が「集会が終わったあとで読んでください」と手紙を頂きました。1920年生まれというその女性からの手紙を集会後に開けると「久しぶりにお元気な石川さんと会えてうれしく思います」と書かれたメモとカンパが入っていました。
ありがとうと言わなければならないのは私たちです
皆さんには支援をしていただくばかりで何のお返しも出来ないことをいつも申しわけなく思っています
一日も早く皆さんに喜んでいただける報告ができるよう
私たちも全力で闘っています
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