2006年2月23日、午後2時から上の島総合センターで行われた「女性のつどい」で、狭山を訴える機会を頂きました。
「つどい」の始まる前、とっても元気な女性たちと一緒に昼食を頂きながら、皆さんのお話を聞かせていただきました。何十年か前、女性部が婦人部という名称だったときの初代婦人部長さんから現在の女性部長さんまでずっと女性部を中心で支えてきた方たちが、これまでの闘い、そして今と、次から次へと尽きぬ思いを語ってくださいました。「集会に行っても字が読めない、書けないで意見も言えなかった、集会から帰ると報告を求められて苦しかった、文字の大切さを痛感し、一文字一文字、字を覚えていった」「支部役員会や、婦人部集会などで資料を作るのに難儀した」「兵庫県を夜中に出発して狭山の集会や、狭山の公判闘争に行った」「私が婦人部長をしていたころ、今から30年位前、役員会で遅くなって家に帰るころは銭湯はもう閉まっていた。しょっちゅう役員会があって、風呂に入れない日が続くことがあった。風呂のある家に入ることができ、遅く帰っても風呂に入れることができるようになった。このときのうれしさは今も忘れられない」「私は婦人部と共に歩いてきた。たくさんの仲間ができ何でも話し合うことができた。苦しいときも楽しいときも仲間と一緒だった。今婦人部が女性部に変わったが、私の中では今でも婦人部、婦人部の荊冠旗は私の心にある。運動に出会ったから世の中のことに目を向けられるようになったし、勉強もできた、人と出会えた、私は幸せ」とのお話は、石川一雄に重なり、多くの被差別部落の人たちの生活に重なりました。
 
 女性や、高齢者が元気で、活動の輪の中にいました。ここに来る1週間ほど前、青年部のMさん、Nさんからメールをいただいていました。Mさん、Nさんが、高齢になられた女性たちに、これまでの差別を跳ね返す闘いの歴史や、生活など聞き取りをしながら涙を流したこと、「この人たちや、一雄さん、さっちゃんの笑顔が見たい!私たちはそんな思いでいっぱいです」と書かれていました。心の通った、人を大切にする、どんな差別も許さない、闘いは脈々と青年に引き継がれています。
 
 私は狭山事件のこと、石川一雄のことを一言でも訴えたい、関心を持っていただきたい、多くの人に伝えていただきたい、このようなことが二度と起こらないように、との思いで、これまで各地で訴えさせていただきましたが、ここでは皆さんのお話をいっぱい聞かせていただきたいと思いました。池田さん、内藤さん、婦人部の皆さん、ありがとうございました。
 
 前日38度も熱があり、23日も体調が悪い中を次の会場、加古川まで送っていただきました橋本さん、一生懸命ビデオをまわしていたNさん、Mさんありがとうございました。

手話通訳もあり、温かい雰囲気のなかで とってもうれしくなるビラが!

 同じ時間、「同和問題にとりくむ愛知県宗教教団連絡協議会」が鎌田慧さんをメインに狭山事件の講演会を持ってくださり、石川もそこでアピールをさせていただきました。22日、兵庫県伊丹市、23日名古屋市、そして兵庫県・加古川市と集会の会場を移動しました。雨が降ったり、時間に追われたりして、会場に来てくださった皆様に申し訳なく思いました。

 とても充実した2日間を過ごさせていただきました。Kさんありがとうございました。長く引いていた風邪も治り、私たちも第三次の闘いに邁進しています。