
![]()
2006年3月4日、真宗大谷派 仙台教務所主催で同和共学研修会が開かれました。
今回は、市民にも呼びかけて多くの人に狭山を知ってもらおうと、土曜日:午後1時、仙台市民プラザで開かれました。
仙台に行く新幹線の車中から見る遠くの山々は雪をいただいていました。仙台は寒いんだろうな〜と思っていましたが、駅を降りると、ぽかぽかとして、春を予感するような木々の息吹も感じました。駅まで迎えに来てくださったHさんが「市民に呼びかけるという初めての試みなので不安があります」と話されましたが、たくさんの人が会場に来てくださいました。会場には東京高等検察庁あての「狭山事件の証拠を開示してください」と書かれた要請葉書、そして狭山事件の再審を求める「狭山リボンバッジ」が置かれていました(100円で販売)
会の始まる前一人の青年から、「私たちは、お寺に置かれていたチラシを見て今日の集会のことを知り、石川さんのお話を直接聴きたいと思ってきました。石川さんは真犯人のことをどう思っていますか?真犯人が生きていたら時効になっていますが憎いですか?」と尋ねられました。石川は一瞬絶句しましたが「それは憎いです。今も絶対に許せない気持ちはあります。しかし、私にも『自白』したという一端の責任があります。事実調べが始まれば真相が明らかになり、私の無実は明らかになります。真犯人も明らかになるかもしれませんが、私は真犯人がどうこうというのではなく、今は三次に懸けて皆さんの、お力添えを頂きながら精一杯闘うだけです」と涙をこらえながら答えていました。短い応答ではありましたが、石川の無念、自分自身への自責の念、怒り、悲しみが私の心にも沁みてきました。
佐藤副会長さんの「春はそこまで来ているが、私たちが待っている狭山事件の石川さんの春はまだ届いていない。春が待ちどうしい。大きな温かい春が早く来るようにとの思いで一杯だ」との挨拶は、今は厳しい冬の時代ではあるけれど、私たちの心に春を届けていただいたような気がしました。
石川は「今第三次に向かってしっかりと艪を持ち船出をした所です。岸壁に着けるのは何時になるかわからないが、必ず光が見え、近い将来皆さんのお力で岸壁に着けることを確信しています」と支援のお願いをして話を終えました。
会場から「学生だった30年ほど前、狭山事件を知った。狭山の集会や、狭山現地に行き、石川さんのご両親にもお会いし、話を伺った、現地を実際に歩き、石川さんの無実を確信した。今日の狭山の集会を新聞で見て知った。石川さんに会いたい、話を聴きたいと、パートナーと一緒に会場に来ました。これから自分に出来ることをしていきたい」との発言を頂きました。とてもうれしかったです。
マスコミに連絡してくださった主催者、3月4日に狭山の集会があると書いてくださったマスコミ関係者、それを見て会場に来てくださった方々。
狭山を動かすのは一人ひとりの力だと実感しました。
![]() |
|---|
| 会館の中の庭木も春を待ちわびて |
3月5日、狭山に帰ってまたうれしい出来事がありました。「30年前狭山に出会った」と会場から発言していただいた方からメールが届いていたのです。「夫が会場で発言しましたが、あの後、狭山の歌、解放歌を2人で口ずさんで仙台の街を歩いていました。狭山差別裁判の運動は、平和と人権を生きる支えにしようと決意させた意味で、人生の原点です。石川さんの行動が、私の生き方をさだめてくれました。本当に感謝しています。石川さんのお話を聞きながら、現地調査の際、石川さんのご両親の『一雄をお願いします』と握られた手のぬくもりが蘇り、涙が溢れてしまいました。石川さんの夜間中学の夢に感動してしまいました。バッジとはがき行動をまず実行しますね。どうかお体をご自愛下さい。仙台においでいただきまして本当にありがとうございました。Y・S」
実は帰りの新幹線の中でY・Sさんたちのお名前も知らず、行き過ぎてしまうことをとても残念だと話し合っていたのです。心が通じたのだとまたまた感動でした。
〜えん罪を許すな!〜「狭山事件に学ぶ」というビラをつくったり、マスコミにも連絡をしてくださったことが人の心や狭山の闘いを繋げてくださいました。
厳しく凍りついた冬の中であっても、たくさんの光がきっと氷を溶かせる日が来ると思えた一日でした。