
@狭山第3次再審闘争にむけて激励集会
2006年5月17日午後2時から、新発田市隣保館で「第3次再審闘争にむけての激励集会」を持って頂きました。
平日の昼間という時間にも関わらず、多くの人が来て下さいました。「石川さんが元気そうでよかった」と口々に言って下さった皆さんの温かさが心にしみました。
激励集会は、司会のWさんのお人柄が反映され、アットホームな中で進みました。2時間あまりの時間でしたが、アッという間に終わったように思います。
主催者の基本法実行委員会(旧)会長の吉井さんから「3次を共に」との挨拶を頂きました。石川は「43年前の5月、身代金を取りに来た真犯人を40人以上もの警察官が包囲していながら取り逃がした。そのとき現れた犯人を捕まえていたら私のこの43年間はなかった。しかし、刑務所の32年間に、読み書きができるようになり、自分自身のおかれた立場や、社会の仕組み等考えていく転機となった。それがなければ差別をなくすために闘っている人たちがいることも知らず67歳になっていただろう。代償は大きかったが無駄ではなかった」とこれまでを振り返り、これまでの支援のお礼と、第3次への支援のお願いをしました。また「人はいずれ亡くなる。しかし、文字は残る。上手、下手は別にして、私は歌を作っています」と歌を詠みました。閉会挨拶をされたSさんは「世論を高めることが大事、狭山の世論をおこす一人一人になろう。人に話していくには、説得力が必要、狭山の学習をしっかりしていこう」と結ばれました。
A 狭山事件を考える「新潟地区住民の会」発足
新潟で3番目、全国で127番目の住民の会が発足しました。その総会が5月17日、午後6時30分から新潟県教組会館で開かれました。第3次のスタートの時、住民の会がまた新たに結成されたということに大きな喜びを覚えます。
狭山事件を考える「新潟地区住民の会」会長には新潟大学教授・鯰越溢弘さんが選出されました。鯰越さんはこれまでも狭山事件について力を注いでくださっていました。
準備会から結成までさまざまにご苦労があったと思います。ここまで関わってくださった司会のHさん、開会挨拶を頂いたUさん、呼びかけ人代表Tさん、Aさんから、「かつてさまざまな再審請求があった時、再審無罪に大きな力となったのは世論の力。世論を巻き起こすような活動を進めたい。市民への広がりがポイント、重点的に取り組んでいきたい」と熱いメッセージを頂きました。
鯰越さんから「狭山事件とは・・・事件の概要と本質」と題して講演がありました。鯰越さんが九州大学の学生の時、寺尾判決の出る前の10万人集会ではじめて狭山集会に参加したそうです。それからずっと狭山を支援し続けてくださっています。「職業裁判官は最後は国の利益を優先する。石川さんの人生と国の利益をはかりにかけたら、石川さんに泣いてもらおうということだ。これまで私は職業裁判官の認定はおかしいということで陪審員制度を訴えてきた。2009年から裁判官3人、裁判員6人で裁判員制度が始まる。刑事裁判の大きな転換点。職業裁判官はあやまちを犯す。狭山事件での証拠、自白は全部あやしい、疑問点、不見識なところが一杯ある。大事なことは現場に行く、証拠を見る。本当に有罪だと確信できるかどうか、それを裁判官はしているかどうか。国民が声を上げていく限り裁判所は動く。新潟で住民の会を立ち上げた。『狭山事件はえん罪である』とうことがどこまで広がるかが、狭山の再審の門を開く力だ。国民の声が再審の扉を開く」と、これまで鯰越さんが関わってこられた免田事件(死刑囚として戦後はじめて再審無罪を勝ち取った)を例に具体的にわかりやすく話をしてくださいました。
たくさんの方が結成集会に来て下さいました。「労働組合の運動のなかで狭山事件を知り、多くのことを学んだ。そこで今日一緒に来ているパートナーとも出会った。退職して2年になるが、石川さんとであった。運動をしていてよかった」と話して下さったFさん。
3次の闘いへ大きな一歩を進めることができました。
