部落解放第51回関東女性集会

 2006年8月26日〜27日、栃木県日光市で第51回関東女性集会が開かれました。
 1日目は記念講演「平和憲法を守ろう〜私の被爆体験、核兵器の恐怖〜」と題して、埼玉県原爆被害者協議会理事をされている久保山栄典さんのお話を伺いました。
「8歳の時長崎県で被爆、被爆者として差別、偏見の中で、自らの被爆体験を隠すように長崎を離れたが、2年前から語り部として話はじめた。それまで苦しい体験を話したくないと思ってきたが話し始めたきっかけは『反戦・反核を実現させるためには親から子、孫に被爆体験、戦争の悲惨さを伝えていくことは責務だ』と聞かされ、二度と戦争を起こしてはならないと運動を続けている母の姿を見続けてきたこと。戦争を知らない人、知ろうとしない人には平和の尊さがわからない、生き残っているわずかな被災者が被爆の悲惨さや、平和の尊さを訴えていかなければならない。怒りのヒロシマ、祈りの長崎と言われているが、怒っているだけでは、祈ってばかりでも戦争は無くならない。戦争の足音は忘れたときにしのびよる。思想と言論の自由が保障されている憲法があるかぎり、主権者は私たち。無口にならないよう語っていく。無口になるとその償い(つけ)は自分に返る。平和のない所に人権の保障もない。良い戦争と悪い平和はない。恒久平和をつかむため共に闘いたい」

「青空求めて」東京都連女性部

 お話の途中も、苦しかったことや、悲しかったことを思い出され、声をつまらせながら話される久保山さんに400人の会場はまるで水をうったようにシーンと静まり、集中して聞いていました。被爆し亡くなった父を8歳だった久保山さん自らが火葬したという戦争の現実の姿、「沈黙は何をも生まない」今こそ「戦争はいやだ、平和憲法を守ろう」という声をあげていかなければと思います。一人から、そして仲間を増やしながら・・・ 
 
 文化祭で栃木県連の「男女共同参画ってな〜に!?」とクイズが、東京都連から「手話で歌おう『青空求めて』」が披露され、私も一緒に手話コーラスの輪の中に入れていただきました。とっても楽しかったです。

 2日目・第6分科会「狭山闘争」 

 狭山弁護団・中山武敏主任弁護人から7月15日、45分間東京高裁の裁判官と会ったことが報告されました。また「来年3月には新証拠を提出するので、判断はそれ以降出してくるだろう。私たちは粘り強く無実の証拠を積み上げ突きつけていく。闘いのポイントは裁判官を現場に立たせること、証人尋問をさせることにある。3次再審なので難しいのではと言われるが、そうではない。石川さんの無実は明らか。再審の壁は厚いが、他の冤罪事件も6次再審、7次再審で無実を勝ち取っている。狭山事件は43年が過ぎても無実の証拠が出てくる。石川さんは67歳、私も石川さんと4歳しか変わらない、私自身もこれが最後になるようにとの思いだ。なんとしても事実調べ〜公正裁判をさせるよう、最大限支えて頂きたい」と棄却決定の誤りと、3次再審請求のポイントを話されました。
 石川もこれまでの支援のお礼と3次にかける思いを訴えました。時間一杯まで会場から発言を頂きました。

無実を勝ち取り石川さんと喜寿を祝いたい

 狭山バッジをいつも付けている埼玉県の高鳥さんは「石川さんはとても親切で優しい人、警察は43年前真犯人を取り逃がした。あのとききっちりと捜査していれば石川さんの無実はわかっていた。でも無実を分かっていて石川さんを犯人にしたのだろう。今度こそ無実を勝ち取るため全面的に応援する。私は必ず分科会は狭山に入る。石川さんは10年たてば77歳(喜寿)、そのとき一緒に祝いたい。私もそれまで元気に生きて一緒に闘う」と話してくださいました。石川が仮出獄で出てまもなく高鳥さんの家で3ヶ月ほどお世話になったことがあります。高鳥さんは石川を息子のように、石川にとっては母のような存在なのだと思います。
 また「狭山の闘いの中で夫と出会った。一人ひとりが自分の足元からしっかりと運動をしていくこと。狭山は自分自身を解放していく闘い」「狭山が原点」と報告してくださる会場の参加者からの発言を頂きながら、狭山を、解放運動を闘う人たちの人としての温かさや、志を持って闘う人たちの強さを感じました。
 中山弁護士が「一人の力は小さいけれど、一人がずっと闘い続ければかなりのことができる。一人ひとりの足元から狭山のうねりを作っていただきたい」
 助言者の金子群馬県連委員長が「温故知新、原点に返り一人ひとりが運動を広げていこう」とまとめられました。
 参加者は当然ながらほとんど女性で女性トイレも一杯で、男性用トイレを一時借りるという、普通の?集会では見られない逆転現象も・・・
・・・女性集会はいつも熱と光に満ちています・・・

脅迫状と石川さんの字の違いは明らか 点に返り一人ひとりが狭山を広げよう