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2006年9月7日「狭山事件を考えるつどい」が兵庫県西脇市民会館で開かれました。
関西の天気予報は雨だったので心配していましたが、やはり新幹線の名古屋駅辺りから雨・・・集会が始まるころには雨が止みます様にと念じていました。会場に着くころにはすっかり雨もあがり、ほっとしました。西脇市は東緯135度、北緯35度にあり、「日本のへそ」といわれているところだそうです。
兵庫県の集会は、1月の安富町を皮切りに、6回目、4月21日の浜坂町、そして9月7日の西脇市まで、今年7回目となりました。5月23日第3次再審がスタートし、現在、署名活動等の取り組みが進められているなかで、狭山の闘い、また私たちにとって大きな力を頂いています。
集会には、2階席まである会場が一杯になるほどたくさんの人がきてくださり、石川の訴えを聞いてくださったことをうれしく思いました。
主催者の解放共闘・内橋議長から「証拠開示・事実調べをさせる新たな闘いのスタートとなる集会。3次再審開始を勝ち取る闘いを進めたい」と力強い挨拶を頂きました。
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部落解放同盟兵庫県連・赤松委員長から「部落解放運動の第一の闘争課題として狭山の闘いを進めている。さらに3次を勝利するため取り組みを進めたい。新100万人署名達成したい」
池田狭山闘争本部長から「部落解放運動ではじめて出会ったのは黄色いゼッケンと狭山の歌だった。それから私の人生が変わった。1973年小学校3年生の息子と狭山現調に行った。狭山から帰った息子は300人の聴衆の前で『狭山事件の万年筆はおかしい、狭山事件はおかしい、石川さんは無実』と話した。ただおかしいというだけでなく、地元に行って事実を確かめるという運動がほんとうにすごいと思った。1974年、無罪判決を信じ、会場でその報告を今か、今かと待っていた私たちに届いたのは寺尾裁判長の無期懲役の有罪判決だった。泣いている私の耳に飛び込んだ『今は泣いている場合じゃない』という1人の女性の声にハッと目が覚めた。してもいないのになぜ自白するのか、と思ったが、甲山事件で犯人とされたYさんが『毎日毎日の取調べ、時には顔にライトを当てられたり、眠らせてくれなかったり、自白するときは意識ももうろうとして、もうどうでもいい、今のこの苦しみから逃れたいという気持ちになる』と話された。狭山事件が起こった日は5月1日、メーデーの日。教育と就労の保障が部落差別によって奪われていたことによって石川さんが犯人とされた。その背景を見抜き、政治や司法にだまされない力をつけんとあかん。狭山を多くの人に語り伝えてきたか、点検もしながら、署名全力で取り組む。この3次が私たちの正念場」とこれまでの池田さんの狭山との闘いを振り返りながら、これからの闘いの課題等はなされました。
各地に出かけるたびに、一人ひとりのこれまでの狭山の闘いの歴史に触れることができます。裁判には負けていますが、池田さんが話されたように狭山の闘いは人間としての誇りと自由を取り戻す闘いであり、自力・自闘、自己実現の闘いであるのだとおもいます。
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曹洞宗で作られた「狭山事件」の啓発ビデオを視聴したあと、石川は「裁判官に現場に立ってもらいたい、事実調べをしてもらいたい」と訴えました。
ステキな出会いもさせていただきました。「狭山事件のこともほとんど知らないけれど、石川さんの話を聞きにきました。これからいろんな勉強をしていきたい」と話してくださったちかこさん。すがすがしい出会いでした。
集会が終わり、半時間ほどしてまた雨が降り始めました。天も私たちに味方してくれました。
