浦和地裁「死刑判決」43ヵ年糾弾!狭山第三次再審闘争勝利!埼玉集会 

浦和駅前で狭山署名の呼びかけを

 2007年3月9日午後4時、県南・石川一雄さんを支援する会(住民の会)の皆さんが浦和駅西口で情宣活動をされるということに呼応して、県内各地からたくさんの人が浦和駅に集り、道行く人にビラの配布と、署名のお願いをしました。ビラまきは初めてというSさんが、「署名をお願いします」との呼びかけに立ち止まった人たち、一生懸命狭山事件のこと、えん罪のことを話しているSさんの思いが通じるように、多くの人が署名をしてくださいました。「大学で法律を専門に勉強しています。えん罪事件に関心を持っています」と話してくださった学生さん。「狭山事件まだしているんですか?頑張ってください」と声をかけてくれた人など、1時間余りでしたが、確かな手ごたえのある情宣でした。
 午後6時、さいたま市「ときわ会館」で集会が開かれました。支援する会で結成されている「さやま座」の寸劇はいつもながら狭山事件の真実、裁判の不条理、司法の不正義を笑い飛ばしながら、するどくおもしろく突くものでした。さやま座にいつも元気を頂きます。
 1968年、静岡地裁の1審で「死刑判決」を書いた(死刑判決を下した)当時の裁判官が「無罪の心証」を持っていたとして2月、テレビで放映されたビデオを視聴後、特別報告として「袴田事件」の支援を続けている新田渉世さん、鈴木武秀さんから袴田事件の概要、そして再審開始を求めて闘う現状が話されました。「司法は世論を気にする。世論を盛り上げることが大事」と支援されているボクシング協会でのさまざまな取り組みも話されました。狭山弁護団の小島弁護士から「石川さんにかけられた見えない手錠を解くため闘っている。事実調べをなんとしてもさせることが重要」と話され、石川は「勝利するまで絶対に倒れない」と上記歌を読みました。

「袴田事件」支援の新田渉世さん 「差別裁判打ち砕こう」

 2月23日、鹿児島県議選挙をめぐる公選法違反(買収)事件で被告とされた12人全員に「完全無罪」判決が出されました。「自白偏重」「強引な取調べ」が判決の中でも厳しく指摘され、デッチ上げが明らかになったのです。鹿児島地検は控訴しないということで無罪が確定しましたが、「人権を守るはずの警察が事件を作った。無実の人をどん底に突き落とした」「こんな警察ならないほうがまし」と話される被告とされた人たちや、その家族の方たちの4年間の苦闘の年月は癒えることはなく、失われた多くのものは帰ってきません。
 3月9日のマスコミ報道によると鹿児島地検は、結果として申し訳なく思っていると「謝罪」したが、当時の捜査関係者については「職務違反はない」として処分しない。また、警察庁は当時の鹿児島県警本部長に対し、長官が文書で「厳重注意」した、となっています。多くの人の人権や、尊厳を踏みにじり、生活さえも脅かし、「人生を変えられた」人たちの苦悩や怒り、悲しみを考えるとき、「職務違反はない」と言い放つ検察、「厳重注意」と文書ですませる警察権力のやり方にやりきれない思いがします。

 3月9日、「死刑廃止」の集会に、袴田さんの無罪を確信しながら3人の裁判官の多数決の結果「死刑」判決を書いたという元裁判官が袴田さんの「無罪」を訴えているニュースが出ていました。ずっと袴田事件をひきずって苦しんできたこと、今後再審開始のために活動していくと話されていたことに、人間の良心を感じましたが、しかし、袴田さんの40数年の年月も苦しみも帰ってはきません。
  
 狭山事件では、被害者のものとされる「万年筆」が石川の「自白」によって石川宅の鴨居上から出てきたとされることが大きな証拠としてあります。しかし、この場所は2回の徹底的な家宅捜索の中で出てこなかったし、家宅捜索をした元捜査官は「鴨居の上を探したが何もなかった。3回目に出てきたと聞き、ほんとうに不思議に思ったが、立場上(現職の警察官として)言えなかった。退職した今だから言える。裁判官に聞かれれば正直に話す」と証言をして下さっています。しかし、裁判官はこの声に耳を貸そうともしません。元捜査官が正直に話をしてくださったことには感謝しています。しかし、この証言を43年前の1審でしてくれていたら石川一雄のこの44年間はなかっただろうし、「死刑」判決もなかっただろう。この年月は帰らない。

 「勝利するまで絶対に倒れない」との決意に
どれほどの思いがこめられているだろう。
最近体調を崩しぎみの石川一雄の44年の人生が
このまま終わっていいはずがない。
「闘いの中で道は拓ける」「闘いの中でしか道は拓けない」
大衆を信じ、真実は必ず明らかになるという石川の信念と共に私も歩み続けたい。