
2007年6月9日、広島県・福山市人権交流センターで狭山学習会が開かれました。
行きの新幹線の中では雨が降り続き、とても心配しましたが、福山駅に着くころはすっかりいい天気でほっとしました。
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主催者の部落解放同盟福山市協議会・川崎さんから「政治的判断が極めて大きいと伺わせる判決に対し、それを上回る大きな世論の力で、なんとしても東京高裁による鑑定人尋問や、鴨居の現場検証などの事実調べを実現させよう。世論喚起を巻き起こすという意気込みで進もう」と挨拶がありました。石川は「差別裁判打ち砕こうの歌には『石川青年』とある。32年間の獄中の年月を除けば私は今36歳、いつも私は青年のつもりでいる。獄中私は『9番』と呼ばれていた。仮出獄で出るとき初めて『石川さん』と呼ばれた。今も見えない手錠につながれている。裁判官に現場に立ってもらいたい。作られた「自白」「現場」にたてばおかしいとすぐにわかる。この三次で勝利できるよう皆さんのさらなるご支援をお願いしたい」と100万人署名達成に大きな力を頂いたことのお礼と、正念場の三次の闘いの支援のお願いをさせていただきました。
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土曜日ということもあり、子ども会の皆さんもたくさん来て下さっていました。一人の子供さんの携帯電話に、逮捕される直前の24歳の石川の写真がありました。「この写真が石川さんなのか?この年月、石川さんがどのように変わったのか?どのような闘いがあったのか?どのような気持ちで勉強をしたのか?」子供さんたちは聞きたいことが一杯あったようでした。石川は24歳で別件逮捕され仮釈放された55歳11ヵ月までの間の写真はありません。(マスコミが撮った裁判に向かう手錠につながれた写真しかない) この長い時間、拘束され、青春、日常生活、名前まで奪われた年月であり、えん罪を訴え続けた年月だったのです。でも・・・しかし・・・文字を取り戻し、自分の置かれた立場を自覚し、えん罪を晴らす、2度と石川一雄を出させないために立ち上がった年月でもあったのです。
最後に子ども会の皆さんと記念写真を撮らせていただきました。石川の表情が一番やさしく穏やかになる時です。
元気にがんばっている女性たちとの出会いもうれしく元気を頂きました。ありがとうございました。