
浦和地裁「死刑判決」44ヵ年糾弾!狭山第三次再審闘争勝利・埼玉集会(2008・3・11)
1964年3月11日から44年目、今年も「3・11を忘れない」「この日を許さない」と第三次再審勝利をめざして、多くの人たちが「死刑判決」が出された浦和地裁(現埼玉地裁)に近い「ときわ会館」に結集し、集会が開かれました。事件発生から45年の長い年月が過ぎましたが、「差別裁判許さない」との会場一杯の熱気で汗ばむほどでした。狭山弁護団の指宿弁護士から弁護団報告がありました。指宿弁護士は1981年8月9日上告棄却されたとき、その棄却糾弾集会の中にいたそうです。「狭山差別裁判の闘いは国民的運動として長く大きく闘われてきた。狭山の位置と意味は大きい。私自身、狭山を知らなければ『冤罪』『再審』に対して関心を持たなかっただろう。狭山闘争は日本と世界の反差別の闘いにつながり、その先陣をきって闘っている。部落差別がなければ石川さん「犯人」はありえなかった。冤罪の犠牲者の多くは社会的弱者であり、差別された人。狭山再審闘争を勝ち取ることはとても重要なことだ」と再審事件の歴史、第三次再審請求の現状と課題等のお話の後、「誰が裁判所を動かすのか?」との提起がありました。「狭山は今弁護団が出している証拠だけで充分無罪が立証されている。しかし、不当判決が出され、裁判所はその判決を追認してきた。裁判所は自ら門を開かない。狭山事件に関わる多くの未開示証拠も中身を見せようとしない。そこには我々に有利な証拠があるからだ。証拠開示をさせることは大きな力となる。法廷内だけでなく、法廷の外からの力をかけよう。狭山は全国に闘う仲間がいる。その一人ひとりが闘いの主体となる事が大事。一人ひとりの力強い声を起こし裁判所を動かそう」と結ばれました。熱い思いに耳を傾け、静まっていた会場から大きな大きな拍手が・・・・・
石川は「私はまだ69歳」と三次で勝利をめざして、さらなる支援を訴え、上記歌を詠みました。皆さんからエネルギーを頂いた集会でした。
2008年3月8日、「北埼玉地区狭山差別裁判を支援する市民の会」の会総会が騎西町・田ヶ谷総合センターで開かれ、その中で「45年目の決意」と題して石川の訴えを聞いていただきました。お忙しい中を多くの方が駆けつけてくださいました。いつも会の中心におられるAさんが最近来られないのがとてもさびしく思いましたが、「Aさんから預かってきました」とAさんが作られた羽生産の「コシヒカリ」を頂きました。Aさんの「狭山忘れてないよ」との思いが伝わってきました。