狭山差別裁判の再審を求めるつどい 札幌講演会 2014年6月27日

 


 初めてメールを頂いたのが、2013年12月10日。「私は札幌のYです。」「狭山事件の発生から50年ということを最近知りました。」「札幌で狭山の講演会をしたいと考えています」「ご夫妻で札幌に来て頂くことは可能でしょうか」と書かれていました。翌11日には「石川さんご夫妻の講演会と、『SAYAMAみえない手錠をはずすまで』の上映会を企画しています」「来年4月頃ご夫妻で札幌においでいただくことは可能でしょうか」とのメールが届きました。2014年2月には「時間が大丈夫でしたら、旭山動物園もご案内いたします」とのメールが。石川が動物が好きなのを知って下さってのメールで、とてもありがたかったですが、「今はまだ行くことができません」とお返事を差し上げましたところ、Yさんから「『みえない手錠をはずすまで』の中に柴田道子さんの写真があることに気が付いていました。一雄さんが墓参りにも行かず、お茶も飲まないということが、ごく最近わかった気がしました。狭山裁判をわがこととして闘った人たちがいました。柴田さん、中山重夫さんのように。今もいると思います。一雄さんのストイックな姿勢はそのことに応えるものだと気がつきました。『旭山動物園でも』などと言った私は全く理解していませんでした。申し訳ありませんでした」というメールが。Yさんの深い思いふれた気がしました。その後チラシ作りや、マスコミへの宣伝活動、チラシまきなど精力的に動いて下さっていました。5月の映画上映会には、「306人が来て下さった」といううれしいメールが届いたのは6月1日。講演会の2014年6月27日までの間、何度メールのやり取りをしたかわかりません。お会いするまでにすっかり旧知の友のように思えました。

 問題は札幌までどのように行くかということでした。石川は飛行機嫌いなので、26日の寝台で。私は老犬がいるので(2泊をさけて)当日27日朝5時30分狭山市駅発の電車で行き、札幌駅に着いたのは16時でした。駅にはYさんと、先に札幌駅についていた石川が待っていてくれました。
 会場は駅から15分ほどのところにある札幌市教育文化会館。手作りの横断幕はYさんとお連れ合いさんが拡大コピーを重ね、一文字になるよう糊で貼り、時間をかけて作って下さったとあとでお伺いしました。

 うれしかったのは舞台に「カモイ」の模型があったことと、5歳の花織ちゃんとの出会いでした。講演会が始まる前、写真を撮るために会場を歩いていると「石川さん」と呼びかけられ、「5月24日、狭山の映画を孫と一緒に見に行きました。孫に今日、映画に出ていた石川さんが来るよ、と話したところ『石川さんに会いたい』と孫が行ったので此処にきました」と話して下さったのです。驚きとうれしさで胸がいっぱいになりました。北海道新聞(2回)、朝日新聞、毎日新聞に映画と講演会の紹介記事が掲載されていたこともあったと思いますが、会場にも多くの人が来て下さいました。

 講演会終了後、出口で皆さんにお礼の挨拶をさせて頂いた時、花織ちゃんが「ありがとう。元気でね」と話しかけてくれたのです。5歳の花織ちゃんにはとても難しい話だったと思うのに、2時間あまりじっと座って聞いてくれていた花織ちゃん。ほんとうにありがとう。
 手作り感あふれた温かい、楽しい「札幌講演会」でした。

 北海道はまだまだ私たちにとって遠くにありますが、石川のことを「私のアイドル」と呼んで下さったYさんや、花織ちゃんとおばあちゃん、講演会成功に向けて取り組んで頂いたスタッフの皆さん、遅い時間にも関わらず会場に来て下さった多くの皆さん、ありがとうございました。
 
 蛇足ですが、青函トンネルを通るのは初めてのことで、とても期待していました。海が見えて、魚とか泳いでいるのが見えると思っていたのです。よく考えると(よく考えなくても)トンネルなのでそんなことありえないと分かっているはずなのに・・・・・・もかかわらずです・・・トンネルの中は真っ暗・・・・残念・・・・

 

   
三次で勝利をと訴える  小さな島の上だけに雲が乗っていました。 車窓より