部落解放第62回関東女性集会  

 2017年8月26日~27日、群馬県水上市で部落解放第62回関東女性集会が開かれた。
今年の全体集会は「ハンセン病を生きて 二人三脚でつかんだ人生」と題して、石山春平さん、絹子さんの記念講演が予定されていたので、楽しみにしていた。
 25日夜、石山さんからお電話を頂いた。神奈川から群馬まで車で行くと言う。81歳の石山さんが遠い距離を運転して行くと伺い、驚いたし、心配したが、「大丈夫、草津はしょっちゅう行ってるから」と話された。いろいろな話をしたが最後に彼が「若い時は石を投げつけられたが、結婚して花が咲いた。今は幸せだ。満開の花の中にいる。人生最後には帳尻が合うんだよ」と話された。お二人と話をしているといつも元気が出るし、ずっと笑いっぱなしで話をしている自分に気づく。石川の78年の人生、そして冤罪になってからの54年間の雪冤と闘う人生も、最後には帳尻がきっと合うように、と願うし、きっとそうなると信じている。

 26日全体集会の始まる前に、各県連女性部が荊冠旗を高々と掲げ、入場するが、その場面はいつも感動する。壇上には女性たちが殆どで議長も女性だ。女性集会なので当たり前だが、この様な集会を関東で62年も続けられてきたことを誇りに思う。

 
記念講演:石山春平さん、絹子さん

 主催者あいさつは、部落解放同盟関東甲信越地方協議会・議長の片岡明幸さん 、部落解放同盟関東甲信越地方協議会女性部連絡会・代表高橋品子さん。片岡さんは、狭山事件の地元、部落解放同盟埼玉県連の委員長でもある。片岡さんの挨拶で「狭山闘争は半世紀を超えたが、ここに来て展望が見えてきた。検察が半世紀近く隠してきた証拠が開示され、それによって弁護団は、下山、川窪鑑定を出した。万年筆が偽物との科学的な鑑定だ。これで勝てる。来年は大きく動く、長い長い闘いになったが、最後の闘いと思い全力を注いで頂きたい。私は最近体調を崩し、手術をした。まだ本調子ではないが、手術も無事に終わった。一週間ほど入院した時『何かやり残したことをやり遂げてから来い、との天の声があったと思った。やり残した事というのは狭山だ。人生をかけて半世紀闘い続けて来た。狭山勝利までは絶対に死なない」と締めくくられた。

 
 狭山分科会

 聴きながら、胸が締め付けられる思いだった。これまで、多くの人に支援をして頂いたが、朗報を届けられぬまま、多くの人が帰らぬ人になった。今闘病生活を送られている人もいる。「今度こそ」の思いが募る。

 記念講演で石山さんは「小学校6年でハンセン病と診断され、学校から追い出された、70年経った今も、その悔しさは忘れられない、差別偏見は国策で作られた、病気より怖いのは社会の偏見だ」と語られた。また「人生の転機は絹子さんと結婚した事、裁判に勝った事、神奈川県で部落解放同盟のNさんと出会い、あちこちで講演するようになったこと、長く下を向いて生きてきたが、言うべき時、言うべきことは言わなければならないと学んだ。一人ではなかなか出来ないことも仲間がいて、助け合い、励ましあい、力を結集していけば道は拓ける」と話された。苦しい人生ではあったが、決して一人ではなかったこと、多くの人に助けられたことが、自分自身の生き方につながり、今は幸せだと話す石山さんは、石川と重なる。

   
会場からも多くの発言が 

 27日の狭山闘争の分科会は石山絹子さんも参加して下さり、活発な意見交換も行われた。
最後に新潟県連の長谷川委員長から助言があった。「狭山事件は司法も揺るがす権力犯罪、狭山を知らない人が多くいる。自信を持って石川無実を広めていこう。検察は反証を出してきた。向こうが土俵に乗ってきた。勝利の一歩を引き寄せるために全力をかけて闘おう」と話された。
団結ガンバロウは助言者の長谷川さんの「石川一雄さんが両親のお墓に一日も早く手を合わせられるように団結して頑張ろう」との掛け声だった。

   
支援を訴える石川  長谷川新潟県連委員長 

熱い集会だった
まもなく高裁前アピール行動もはじまる
20歳が4回来るまでに、勝利の目処をたたせたい