日本基督教団関東教区で部落解放祈りの日集会(教団部落解放センターは7月第二主日(第2日曜)を「部落解放祈りの日」として全国の教会・伝道所に部落解放を課題とする礼拝を呼びかけています)に、狭山事件の犯人とされ、半世紀以上無実を訴え続けている石川一雄の話を聞いて頂きました。
茨城県の竜ケ崎教会の飯塚拓也牧師は、日本基督教団関東教区 宣教部委員長をされていて、6月17日にも「関東教区新任教師オリエンテーション」で狭山教会での学習会と、狭山現調に来てくださったばかりでした。
飯塚牧師から「えん罪で苦しんでいる石川さんのお話を、茨城でぜひ聞いていただきたいと思っていた。その思いをずっと持っていました」と話されたとき、胸が熱くなりました。毎年お会いさせて頂いている飯塚牧師。時間に追われ、ゆっくりお話しさせていただくことがなかったのですが、石川一雄の訴えに応え、熱い思いをもって応援し続けてくださっていたことにただただ感謝でした。

   
飯塚牧師  関東教区宣教部・安田委員より狭山事件の概要を 

 狭山事件は部落差別に基づく差別裁判であり、その根本に教育の問題が大きく横たわっています。石川は部落差別の結果、家が貧しく、教育を十分に受けることができませんでした。小学校5年生の半ばで年季奉公(住み込みで農家に働きに行った)に行き、18歳になるまで、あちこちの農家を転々としたのです。
 第1審浦和地裁の論告求刑(検察)で「被告人は家が貧困であったため、小学校も満足に行くことができず、11~12歳の時、父母の元を離れて農家の子守奉公にいくようになった。その後被告人が18歳になるまで、2~3の農家を転々とし、家庭的な愛情に育まれつつ少年時代を過ごすというわけにはいかなかった。このような環境は、被告人の人格の形成に影響を及ぼしたであろうことは想像に難くない」と言い放ったのです。それをうけて地裁の内田裁判長は「被告人は小学校すら卒業せずして少年時代を他家で奉公人として過ごし、父母のもとで家庭的な愛情に育まれることができなかったことはその教養と人格形成に強い影響を及ぼした」「このような環境が社会に対する遵法精神を希薄ならしめる素地を与えたことは想像される」というように書かれています。

   
多くの人に来ていただきました  集会後好物のスイカを頂く 

家が貧しくて学校に行けなかった事を石川一雄や、その家族のせいにしています。義務教育であるはずの小学校すら通えず、小さい子どもを親から引き離し、他家に住み込みで働きに行かざるを得なかった厳しい差別の現実を見ようともせず、親や子どもの悲しみも、切なさも想像もできない、しない司法にかかわる人たち。貧しかったこと、学校に行けなかったことを個人の責任にし、人格攻撃までしているのです。この判決文を読むたびに、強い怒りと、切なさがわいてきます。
これは石川一雄個人のことにとどまらず、当時は多くの被差別部落の生活の実態だったのです。
 私は徳島の被差別部落で生まれました。私の家の前に7人家族(子ども5人)の家がありました。4番目のテッチャンは私と同い年でしたが、テッチャンも一日も学校に行っていません。上の3人の兄姉もそうです。だからこそ被差別部落の人たちが、石川の問題は我が息子、我が夫、我が兄弟の事、自分事として闘いに立ち上がったのだと思います。

 教会にはたくさんの子どもさんが来てくださっていました。私は、字を知らなかった石川に獄中で「無実を訴えるには文字を覚えて多くの人に狭山事件の真実を訴える手紙を出しなさい」と、文字を教えてくださった元看守さんのことを中心に話してほしいなと思っていましたが、しかし、緊迫した山場にある狭山闘争に弁護団が科学的なたくさんの証拠を出しているので、これらの鑑定人尋問(証人調べ)をしてほしい等、精いっぱいの訴えを続けていました。
最後に「私は無実なので、再審が開始されれば必ず冤罪が晴れることを確信している」と結びました。
難しい内容だったと思いますが、子どもさんたちが一生懸命聞いて下さっており、このことも感激でした。

竜ケ崎教会のホームページに書かれていたことばです

求めなさい。そうすれば与えられる。
探しなさい。そうすれば見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば開かれる。
(マタイによる福音書7章7節)