2018年6月9日、2団体の現調    

 天気予報では雨だったが、暑い一日だった。徳島から、反差別研修として、「狭山事件を考える徳島の会」を中心に3団体が、また、フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」で呼びかけた「狭山事件フィールドワーク」の皆さんが来られた。徳島からは、8日午後10時に徳島を車で出発し、9日11時に狭山着。フェイスブックでの呼びかけによる参加の皆さんは13時過ぎに富士見集会所に着かれた。
 集会所で13時30分から自己紹介後学習会。一般公募での参加の皆さんは、11人。新潟、兵庫、京都から来られた方も。また日本キリスト教団・東所沢教会から4人が参加された。教会の皆さんは、高裁前アピール行動に来て下さっているが、現調は初めてという事だった。狭山市の隣の入間市から参加された方は「映画の中の石川さんのジョギングコースは私の散歩コース」と話された。ポレポレ東中野で映画(獄友?)を見て、高裁前アピール行動に来て下さった人が、現調にも来て下さったり、えん罪3部作を見て、狭山事件を自分自身で知り、応援したいと來られた方、司法試験を受けたばかりだという方も。新潟から来られた人は「無関心に生きるのではなく、自分の人生を悔いなく生きたい。狭山事件石川さんの無罪を獲得しないと、人生に悔いなしと言えない」等、それぞれに深い思いを持って参加して下っていることを知った。うれしかったのは2014年、兵庫県で「みえない手錠をはずすまで」を上映した時に来て下さったMさん。Mさんから、石川が、1977年4月に東京拘置所からMさんに出した手紙を宝物として持ち続けて下さったことを伺ったのだが、そのMさんがフェイスブックで現調があることを知り、両親の介護で大変な中を来て下ったことだ。この日もその手紙(41年前になる)を持って参加された。彼女は「苦しい時も悲しい時も、石川さんから頂いた手紙で励まされた」と語った。石川の苦難、受難の人生も、この様な形で多くの人に勇気や光を与えたのだと思うと、彼の人生も一方では光を放っていたのかもしれない。私自身が石川の闘いに光をもらった一人だ。

 13時30分から15時頃まで学習会、その後現地調査があり、17時ごろに終えた。
夕方18時30分から徳島のメンバーと交流会。徳島で共に部落解放運動、狭山闘争、労働組合運動を闘った人たちや、私が狭山に来て以降運動に入った人などで阿波弁が飛びかった。
 翌10日朝8時に車は徳島に向けて出発した。皆さんありがとうございました。

 明日6月11日は東京高裁で、袴田事件の判断が出される。マスコミは12日にシンガポールで開かれる、トランプ、金会談を大きく報道しているがその中にあっても、袴田事件は消されることなく取上げられている。動く。きっと高裁は検察の抗告を棄却する。東京高検はこれ以上袴田事件を長引かせることなく、特別抗告をしないでほしい。裁判を開いてほしい。 
 いよいよ明日だ。そして次は狭山だ。その思いを強くする。