高裁前アピール行動  2019年12月3日  

 2019年最後の高裁前アピール行動。12月と思えないぽかぽかとした日差しに包まれた。

   
 部落解放同盟組坂委員長   石山絹子さん後ろに春平 さん

今回も多くの人が。埼玉、東京、神奈川、大阪、福岡、千葉、栃木、群馬、山梨、宗教者、労働組合、市民・住民の会、フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」の仲間たち、狭山勝手連、足利事件の菅家利和さん、日の丸・君が代裁判で、思想・良心の自由・教育の自由を求め、闘い続けている河原井純子さん、ハンセン病回復者の石山春平さん(83歳)お連れ合いの絹子さん(石川と同じ80歳)、埼玉の「県南・石川一雄さんを支援する会」代表の秦さん。

 

「何としてもこの不当裁判を動かそう、石川さんの56年の無念を晴らそう、裁判を開かすぞ」の一念で来て下さった人、80人~85人位。千葉から来てくださった私と同姓同名のさっちゃんに「ありがとう」と言うと、「来られる限り来る。ありがとうはいらない。一緒にがんばる」と言ってくださった。福岡のOさん、お手紙にあった通り今回も高裁前に姿があった。いっぱいの「菜の花クッキー」をもって。

 
 菅家利和さん

 最愛のお連れ合いさんを最近亡くされ、心癒えない中を来て下さった大阪のMさん、東京のAさん、病をおして来てくださった山梨のTさん、「今回は行けないけれど心は共に」とのメールを下さった滋賀のよっちゃん、大阪のHさん。
高裁前という闘いの最前線にあって「56年の石川さんの闘いに連帯する。事実調べを行え」と、各地から自分の意思で来て下さった人たち。皆さんの闘いと思いに、お礼の言葉も充分に言えなかった。
三者協議を控え、極度の緊張状態にありながらも、訴えたいことが山ほどあり、マイクを握っている石川に「時間だよ」とせかしていた私がいた。多くの人にアピールをして頂きたいとの思いがあった。
狭山裁判は差別裁判であり、冤罪を晴らす戦いだが、その根本に一人ひとりの人権、人間の尊厳を守る闘い、人を大切に思う心が狭山だと、私は思っているが、そこを見失わないようにと自分自身を戒める。
56年、冤罪が晴れていない現実は厳しいが、56年たっても闘いの炎は燃え続けている。

     
 ゆずティ  縁な味噌 菜の花クッキー 

とてもうれしかった事があった。智ちゃんから頂いたお手紙に「4月に仕事を辞めたこと」「これからも変わることなく狭山再審勝利に向けてとりくんでいくこと」「田舎の両親や親類、友人知人等署名活動を通して取り組みを進めていること」等書かれていた。いつもはにかんだ笑顔で、高裁前に来て下った彼女。狭山集会や、高裁前アピール行動に来て下さったのは曹洞宗の職員としてという事が多かったように思う。今回は個人として来てくださった。
熱と光だ。狭山の闘いには展望があると信じられる。
上記歌は東京・墨田支部のKさんから「広島の義兄が今病床にあり、10・31の狭山集会に来られなかった。デモ行進の時兄から『狭山集会はどうだった?』と電話があり、スマホで撮った石川さんの写真を送り、集会の報告もした。今回狭山集会に来られなかった兄に、石川さんのビデオメッセージを送りたいので、12月3日高裁前アピールの時に撮らせてほしい」とメールを頂いていた。その中で、石川は上記歌を詠んだ。「鶯は私です」と。
今回は石山さんの撮影(映画?テレビ?)と狭山の撮影(金監督)が重なった。光を呼び込んでいる。高裁前アピール行動が終わった後、菅家利和さん、金監督、撮影の池田さんと5人で日比谷公園の中のレストランでうどんを食べる。
その後、金監督、池田さんと共に狭山に帰り、1時間ほど撮影。
石川は昼食をしたので、夜は食べない(一日2食) 
私はAさんから頂いたゆずティを飲みながら菜の花クッキーを。おいしかった~