今から37年前の 1963年5月1日埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状が届けられるという事件がおきました。
 警察は身代金を取りに現れた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしてしまいました。女子高校生は遺体となって発見され、 警察の大失敗に世論の非難が集中しました。
 捜査に行き詰まった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、なんら証拠もないまま石川一雄さん(当時24歳) を別件逮捕し、 1ヶ月にわたり警察の留置場(代用監獄)で取り調べ、ウソの自白をさせて、 犯人にでっち上げたのです。
 地域の住民の「あんなことをするのは部落民にちがいない」という差別意識や、マスコミの差別報道の中で冤罪が生み出されて しまったのです。1審は死刑判決、2審は無期懲役、 1977年無期懲役が確定。今第2次再審請求中です。
 第2次再審請求中の1994年12月21日、 31年7ヶ月ぶりに仮出獄をした石川さんは、 狭山事件の真相と公正な裁判を求める ための訴えに 全国をまわっています。
(部落解放中央共闘発行ビラより抜粋) 


「三次で勝利を」と狭山市民集会で

                
 1986年第2次再審請求から19年の歳月を費やしながら、「事実調べ」や、「証拠を開示して公正で公平な裁判を」と求める多くの人たちの声にも耳を傾けず、2005年3月16日、最高裁は狭山事件の特別抗告を棄却しました。狭山事件の証拠リストや、未開示証拠を開示すれば真実が明らかになることを恐れた裁判所と検察はあくまで開示を拒否し続け、「事実調べさえしてくれれば私の無実は明らかになる」と叫び続けた石川の思いをまたも打ち砕いたのです。この歌は5月24日、「狭山事件の再審を求める市民集会」で石川が詠みました。石川は「私は打たれ強い。命をかけて闘う」と訴えました。第三次再審請求は来春にも出されます。「この三次が最後、三次で勝利を」という石川の訴えに、どうか耳を傾けていただきたい、今度こそ「事実調べ」をさせるよう、一人でも多くの人の支援を心から願っています。